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ぎょうざんぜんじ ---- =画題= ===画像(Open)=== *[http://www.dh-jac.net/db/nishikie/results.php?enter=portal&f85=仰山禅師&-format=resultsp.htm&-max=50&f9=*&f11=1 ARC浮世絵検索システム] *[http://ukiyo-e.org/search?q=仰山禅師 Ukiyo-e.org] *[http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/search.aspx?searchText=仰山禅師 大英博物館Collection_Online] *[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/search?q=仰山禅師 東京国立博物館] *[http://bunka.nii.ac.jp/heritages/search/freetext:仰山禅師 文化遺産オンラインDB] *[https://www.google.co.jp/search?q=仰山禅師 Google_Search] *[http://ci.nii.ac.jp/search?q=仰山禅師 CiNii論文検索] *[http://ci.nii.ac.jp/books/search?advanced=false&l=ja&q=仰山禅師 CiNii図書検索] ===解説=== ===画題辞典=== 仰山禅師、名ほ恵寂、支那韻州懐化の人、姓は葉氏、十七歳にして出家を父母に請うて許るされず、後三年、二指を断ちて求法を誓ひ、遂に許され、南華寺智通に就きて剃髪し、更に耽源応真に謁して玄旨を悟る。後更に潙山霊祐に参ず、霊祐問ふ、汝師ありや、恵寂曰く、師ありと、即ち西方より東方に歩む、霊祐異人なるを知りて開示す、遂に大悟して執事十五年に及び、密印を受け、王莽山に住せしも、化縁熟せず、乾符六年、大仰山に遷りて大に化道を張る。禅の一派潙仰宗は霊祐恵寂の師資唱和し父子一家して唱えしより、人の称せる所にして、一宗の開立を遂げたリ。梁の貞明二年、寿七十七を以て寂す。 (『画題辞典』斎藤隆三) [[category:画題|き]] ===東洋画題綜覧=== 支那唐代の高僧、潙仰宗の祖、慧寂といふ、仰山に居つたので仰山禅師と呼ばれる、韶州須昌の人、姓は葉氏、十五の歳出家を志したが父母許さず、十七の年左手の二指を断て父母の前に致し之を請ふ、遂に許されて南華寺の通禅師に依て落髪した、初め耽源に謁して已に玄旨を悟り、後、潙山禅師に参して遂に堂奥に達す、潙山の密印を受くるに及び衆を領して王莾山に住し遷て仰山に止まる、学徒雲集す、得道の衆勝げて計るべからず、師始め仰山より後観音に遷り機に接し物を利し禅宗の標準となす、仰山の法を伝へて円相を示成するもの盛に行はる、此の潙山仰山の一派を潙仰宗といふ、遷化に先つこと数年、偈を作つて『年満七十七、去老是今日、任性自浮沈、両手登攀屈膝』と、遂に昭宗の大順元年韶州の東平山に寂す、寿七十七、勅して智通大師と諡し塔を妙光と号し、後塔を仰山に遷した。 (仏教大辞彙) (『東洋画題綜覧』金井紫雲) [[category:画題|き]]
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