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=総合= いまぐまのさるがく。 永和元(一三七五)年か、またはその前年応安七(一三七四)年に、[[観阿弥]]が京都洛東の今熊野で催した能を指して言う。 室町幕府三代将軍[[足利義満]]が、初めて[[猿楽]]を見物したのがこの催しであった。義満は、この催しの[[観阿弥]]の名演と、[[世阿弥]]の可憐さに魅せられ、これ以後観阿弥・世阿弥父子及び猿楽の座を後援し、それまで幕府の公式な芸能と位置付けられていた[[田楽]]に加えて、猿楽の興隆を招いたとされる。 また[[長]](座の長老)が舞う決まりであった[[翁]]を、義満の側近[[海老名南阿弥陀仏]]の進言で[[観阿弥]]が代わりに勤め、これを機に、猿楽座の長ばかりでなく、[[大夫]]も翁を舞う習慣が通例となったらしい。 この催しについての記録は、世阿弥の芸談『[[申楽談儀]]』に、世阿弥が十二歳であった時の出来事として見えている。
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