高津の聖詠

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たかつのせいえい


画題

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解説

東洋画題綜覧

人皇十七代仁徳天皇、御即位在して難波に都す、これを高津の宮といふ。天皇その四年高楼に登り民家炊煙甚だ疎なるを臠はせられ民の窮乏を察し給ひ、課役を免じ給ふこと三年、七年四月又その高楼に登り、此度は炊煙盛に立つを御覧ぜられ『我富めり』と宣はせられた御聖徳をいふ。『水鏡』に曰く

四年と申しし二月、みかど高き屋にのぼらせ給ひ四方の民のすみかを見たまふに、煙絶えさびしかりしかば、今より後三年の程民をやすむべしとて九重のうちの修理を止めさせ給ひ人のつかれをはぐくませ給ひぬ、その後七年と申しし四月に又高き屋にのぼりて見給ふに、民のすみかも賑ひゆたかなりしかば、みかどの御製

高き屋にのぼりて見ればけむりたつ民のかまどは賑ひにけり

高津の聖詠は、古来歴史画としてよく画かれてゐる。

岡田為恭筆  大沢百花潭氏旧蔵

松岡寿筆   東京府養正館壁画

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)