靭猿

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うつぼざる


総合


歌舞伎

原名題は「花舞台霞猿曳」(はなぶたいかすみのさるひき)。常磐津舞踊劇。作詞中村重助。天保九年(1838)、四世中村歌右衛門(猿曳)により初演。 もとは能狂言の「靱猿」だが、まったく歌舞伎化されていて、少しも狂言臭を感じさせない。舞台も が松羽目でなく、鳴滝八幡の場で、朱の廻廊に梅の立木、吊枝という華やかな舞台。ここへ代参に来た女大名三芳野は小猿を見て、うつぼ(矢を入れるもの)にしようと猿曳に頼んだが、拒ばまれて射殺そうとする。が、猿曳の愁嘆と、いかにも無心な小猿の様子に思いとどまり、皆皆は喜びあう。矢を向けられての猿曳のなげき、小猿の哀れさ、また一転して喜びの踊りと、見せ場・聞かせ場 が多く、よく上演される。