関の清水

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せきのしみず


画題

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解説

東洋画題綜覧

往古逢坂山の弘法大師火除名号石の傍にあつたといふ、又関明神御旅所にもあり、後世これになぞらへ作つたものか、鴨長明の時さへ定らかならずといふ。  (東海道名所図会)

君が代にあふ坂山の岩清水木がくれたりと思ひけるかな  忠岑

逢坂の関にながるゝ岩清水いはで心に思ひこそすれ    読人しらず

逢坂の関の清水に影見えて今や引くらん望月の駒     貫之

ある人のいはく、逢坂の関の清水といふは走井と同じ水ぞとなベて人知り侍めり、しかにはあらず、清水は別の所にあり、今は水もなければ、そことしれる人だになし、三井寺に円宝坊の阿閣梨といふ老僧、たゞひとり其所を知れり、かゝれど、さる事やしりたるとたづぬる人もなし、我しなん後は知る人もなくてやみぬベき事と、人にあひて語りける由伝聞てかのあざり、知れる人の文を取て建暦の始の年十月廿日余りの頃、三井寺に行く、阿闇梨対面して、かやうに古き事を聞まほしくする人もかたく侍めるを珍らしくなん、いかでしるべ仕らざらんとて、伴ひて行く、関寺よりにしへ二三丁ばかり行きて道より北のつらに少し立上れる所に一丈許なる石の塔あり、その塔の東へ三段ばかり到りて、窪める所は即ち昔の関の清水の跡なり道より三段ばかりや入りたらん、今は小家の後になりて当時は水もなくて、見ところもなけれど、昔の名残、面影に浮かびていうになん覚え侍し、阿閣梨語りて曰く、此の清水に向ひて水より北にうす桧はだ葺たる家近くまで侍りけり、誰のすみ家とはしらねど、いかにも唯人の井所にはあらざりけるなめりとぞ語り侍し。  (無名抄)

『関の清水』を描いた作、

伊東紅雲筆  『関の清水』  第十二回文展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)