西王母

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総合

西王母(せいおうぼ)

脇能物・女神物

あらすじ

 周(中国)の穆王の時代に、里の女が帝王に三千年に一度だけ花が咲き実を結ぶ仙桃の実を捧げる。帝は西王母の桃であろうと喜ぶが、女は、自分が西王母の分身であり、この世を言祝ぐため、桃の実を持って再び訪れることを予言して消え去る。

 人々が様々な管弦を奏して西王母の到来を待ち受けていると、西王母が桃の実を携えた侍女とともに真の姿を現わす。その桃の実を皇帝に捧げた後、西王母は優雅に舞いながら明け方の雲に紛れて天上へと帰っていく。

場面解説

 袴能の一場面である。袴能は、その名の通り装束や面をつけずに演能を行う略式の演能方法である。ツレの持つ桃から、上演している曲は「西王母」とわかる。侍女が桃を携えて登場するのはその後場である。後場では、仙女の姿を現した西王母が、侍女を伴って下リ端の囃子で華やかに登場し、桃をワキに捧げて舞い戯れる。ツレを演じる侍女は前髪の少年で、可憐な風情を舞台に添えている。

 本来、後場の侍女の装束は側次を着用した唐人女出立で、前場での唐織とは違って異国風の情緒を感じさせる演出となっている。一方、前シテも通常は唐織であるが、演出によっては側次を着ける場合もある。

【出典】

王世貞『有象列仙全傳』

近世視覚文化を読み解くせいおうぼ


画題

画像(Open)


解説

(分類:中国)

画題辞典

西王母は仙女なり。即ち亀台金母是なり、西華至妙の気を得て化して伊川に生る、姓に緱、諱は回、字は婉姈、西方に配して東王公と共に二氣を理す、上天下地女子の登仙するものは皆之に隷す、崑崙の圃に居る、玉楼玄台九層あり、左に瑤池を帯し右に翠水を環らすという、女五、華林、媚蘭、青餓、瑤姫、王巵という、周の穆王曽つて西方に巡幸し、崑崙山瑤池の辺に於て之に会し、酒宴を催ふし楽しみて帰ることを忘れたりという、又後漢の武帝の時元封元年西王母宮中に降り、桃七個を帝に薦め、其の二個を自ら食す、帝即ち其の核を留めんとす、王母曰く、此桃は三千年に一度花咲き一度実るのみ世の桃と同じからずと、此故事に拠り後世図を作るもの西王母に桃を配するを常とす。

狩野元信筆(東京帝室博物饉所蔵)、狩野探幽筆(西本願寺所裁)、狩野探幽筆(井上辰九郎氏所蔵)、清原雪信筆(備前池田侯爵旧蔵)、円山応挙筆(鴻池男爵所蔵)、同(澁澤子爵所蔵)、谷文晁筆(吉田丹治郎氏所蔵)

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

西王母は支那の仙女、三十年の齢を保つといふに配せられるので、古来好画題として画かれる、出処は『列仙伝』である。曰く。

西王母、即亀台金母也、以西華至妙之気化而生於伊川姓緱(一に作何、一に作楊)諱回、字婉姈、一字太虚、配位西方、与東王公共理二気、調成天地陶鈞万品、凡上天下地女子之登仙得道者咸所隷焉、居崑崙之圃、閬風之苑、玉楼玄台九層、左帯瑶池、右環翠水、女五、華林、媚蘭、清娥、瑶姫、玉巵、周穆王、八駿西巡、乃執白圭玄璧、謁見西王母、復觴母于瑶池之上、母為王謡曰、

白雲在天、山陵自出、道理悠遠、山川間之、将子無死、尚能復来。

後漢元封元年、降武帝殿、進蟠桃一枝於帝自食其二、帝欲留核、母曰、此桃非世間所有、三千年一実耳、偶東方朔於牖間窺之、母指曰、此児己三偸吾桃矣、是日命侍女董双成、吹雲和之笛、王子登弾八琅之璈鼓、飛許瓊霊虚乏簧、安法興歌玄霊之曲、為武帝寿焉。  (列仙伝)

これに依つて或は西王母のみを図するもの、或は東方朔と双幅となすもの、時に周穆王と共に三幅対として画くものもある。

狩野探幽筆  『西王母東方朔双幅』  島津公爵家旧蔵

同                  西本願寺蔵

円山応挙筆              松沢家旧蔵

池大雅堂筆  『西王母寿老』     岸上家旧蔵

清原雪信筆             池田侯爵家旧蔵

谷文晁筆               吉田楓軒氏旧蔵

岡本豊彦筆              平坂恭助氏蔵

狩野元信筆  『西王母東方朔双幅』  帝室博物館蔵

長沢芦雪筆              青地家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)