袈裟

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けさ


画題

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解説

画題辞典

袈裟は王朝時代の女丈夫、渡辺渡の妻なり。容姿端麗、上西門院の雑仕となりしが、未だ笄するに及ばずして右衛門尉渡辺渡に嫁し、閨門甚だ雍睦なり。遠藤盛遠路に袈裟を見て神思恍惚、袈裟の母衣川に其縁者なるを以て之に至り劫かして袈裟を請ふ。袈裟は母の危急を見て意を決して、盛遠に会い、給って曰く、速にわが夫渡を殺せ、吾れ君に随わんと、渡の寝所を教ゆ。已にして家に帰り酒を置いて歓飲し、渡を臥さしめ、自ら髪を濡ほし詭り服して男子の装をなし席を隔てゝ臥す。夜半盛遠来り首を斬りて去り、外に出て之を見れば、その首は渡にあらずして実に袈裟なり。盛遠悲恨首を提げて渡の家に至り、実を告げて死せんと請ふ。渡曰く、事茲に至る汝を殺すも益なしと、共に髪を削りて僧となる。盛遠は即ち僧文覚なり。この一事支那の古譚に取りしものにして、架空のことなりという説あれども、弘く人口に膾炙して古くより詩に文に絵にせらるゝ所となす。

(『画題辞典』斎藤隆三)

前賢故実

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(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

源渡の妻、小字は阿都磨、母を衣川の老嫗と曰ふ、袈裟、姿容端麗、上西門院の雑仕となる、未だ笄するに及ばずして源渡の妻となる、偶々遠藤盛遠これを垣間見、恍として現なくこれを尾行してその渡の妻であり且つ伯母衣川の娘と知るや直ちに衣川を訪ねて袈裟を我に与へよ、さなくば命を断つと脅迫した、衣川は一時遁れにその場は済ませたが性来粗暴の盛遠如何なる後難を招くやも知れずと袈裟を呼び小刀を授けて泣く泣く其の一伍四什を語る、袈裟聞いて大に驚き潜かに夫及び母の身代りとなる覚悟を為し、盛遠を伴つて渡を殺す事を約す、そして渡を酒に酔はせ先づ臥させ、自から髪を濡ほし男を装ふて臥す盛遠斯くとも知らず忍入つて首を搔り、月光に照らして其の袈裟なるを知り、歎き且つ悔い首を携へて渡の家を訪ひ、実を告げて剃髪し、渡また仏門に入る、『源平盛衰記』に精し、その一節に曰く

女暇を得て家に帰り、酒を儲渡を請じて申けるは、母の労とて忍て呼給し程に、昨日罷て侍りしに此暁よりよく成せ給ひぬ、悦遊ばんとて我身も呑夫をも強たりけり、元来思中の酒盛なれば、左衛門尉前後不覚にぞ飲酔たる、夫をば帳台の奥にかき臥て我身は髪を濡らし、たぶさに取て烏帽子を枕に置き帳台の端に臥て今や今やと待処に、盛遠夜半計に忍やかにねらひ寄り、ぬれたる髪をさぐり合て唯一刀に首を斬り、袖に裏家に帰り、そらふしして思けり、嗚呼終に禍事由なく肝もつぶさず鎮ぬるこそ嬉けれ、年来日来諸々の神々廻行祈る祷る甲斐ありて本意をとげぬる嬉しさよ、昔も今も神の御利生厳重也、春日八幡賀茂上下、松尾平野稲荷祇園に参つゝ賽せんとぞ悦ける、爰郎等一人馳来て申様、不思議の事こそ候へ、何者の所為やらん今夜渡左衛門殿の女房の御首を切進て侍る程に左衛門殿は口惜き事也とて、門戸を閉て臥沈給へりと披露あり、弔には御渡候ふまじきやらんと云ひけんば、穴無慙や此女房が夫の命に代りけるにこそと思て、首を取出し見れば女房の首也、一目見るより倒伏し音も不惜叫びけり。  (源平盛衰記十九)

此の物語は洽く人口に膾炙されてゐるので歴史画として描かるゝもの少くない。

尾形月三筆  『袈裟物語』  第二回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)