藤原衛

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ふじわらの まもる


画題

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解説

前賢故実

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正四位下、右京太夫兼伊賀守、左大臣を贈られた内麻呂の十男。衛は二歳で母親を亡くしたが、五歳のときに母親の死について周りの人に尋ね、その故を知り母を哀憐および追慕する様子は人々を感動させた。七歳で大学に入り、十八歳で文章生に合格し、大学介になった。のち遠江守を務め、寛大な為政を果たしたので、民に敬服されていた。式部少輔を務めていたとき、不法行為を指弾して論駁する場合は、相手が身分の高い人の親戚であってもはばかることがなかった。嘉祥二年、渤海使節が来朝。五月五日、帝が武徳殿に幸し、賓客に宴を賜与した。そのとき、辞令に長ける侍臣を選び、使節を応対する中使に任命するという勅命があった。衛は中使に選ばれ、賜った「続命縷」(五月五日に使う延命の魔除け)を身につけて宴に出席した。渤海の賓客たちは衛の儀範を見て大いに感心した。天安元年卒、享年五十九歳。

時去時来秋復春(秋が去ってまた春が訪れてくるように月日が流れ) 一樂一酔偏感人(ちょっとした喜びや酔心地は却って人を感動させる) 容顔忽逐年序変(容貌がにわかに歳月に従い変化するが) 花鳥恒将歳月新(花鳥がつねに歳月とともに新生する)

(『前賢故実』)