藤原岳守

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ふじわらの おかもり


画題

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解説

前賢故実

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從四位下三成の子。寛大且つ温和な性格で、史伝を博覧、草書および隷書に秀でた。賢がなければ人徳のない人だという考えを持ち、常に真心をもって人と接していた。天長中、春宮において皇太子であった仁明天皇のそば近くに仕え、上品な振舞を以て皇太子に好かれて重用されるようになり、内舎人になった。しばらくして父親の三成が亡くなり、哀悼の礼儀を超えるほど悲しんでいた。承和中、太宰少貳を務めていたとき、偶然に得た白居易と元稹の詩筆を天皇に献上した。大いに喜んだ帝は、岳守を一階の位に昇進させた。数年後、左近衛少将、從四位下に累進。さらに左馬頭、右近衛中将へ抜擢され、美作守を兼任した。嘉祥初年、近江守になり徳政を行い、民衆が心から岳守を敬服していた。その後、官職を終えて京へ戻り、栄進する気持ちがなかったため、時の論者に高く評価されていた。仁寿元年卒、享年四十四歳。

(『前賢故実』)