若衆歌舞伎

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わかしゅかぶき


総合


歌舞伎

若衆歌舞伎の特徴

美少年を主演者とする歌舞伎で、女歌舞伎が禁上される(1629)と、急激に盛んになった。ところが男色による弊害を生じたので、承応元年(1652)に禁止された。内容的には女歌舞伎と大差なく、レビュー式のものであった。

女歌舞伎と併存

  • 女歌舞伎が栄えていた時代から、少年の芸能を記した史料が散見する。

『鹿苑日録』にある。 ⇒⑩『慶長日件録』に若衆の踊りの記事がある。 ⇒⑪『時慶卿記』にカブキ踊とある。

  • それまでは女歌舞伎の方に注目が集まっていたが、寛永六(1629)年に女歌舞伎が禁止されると、かわって民衆の支持を集めた。

芸態

女歌舞伎の模倣

⇒「江戸名所図屏風」

小舞・業平踊

  • 「小舞十六番」

若衆歌舞伎時代舞踊の手ほどきとして若衆芸の役者に伝えられた物。 『舞曲扇林』、『歌舞伎事始』、『落葉集』に歌詞が残っている。 ⇒狂言小舞(民間の小歌を用いた狂言方の舞)の形式と非常に近い。

  • 「業平踊」

遊女歌舞伎全盛期に佐渡嶋座の者から当時名人と称された狂言師北野粥川の加左衛門に伝えられた舞踊。若衆歌舞伎の代表的な踊歌を集めたもの。 ⇒仙台塩竃神社より発見。 「業平踊とは大小狂言」との記載があり、女歌舞伎の狂言師たちによって演じられていた大小狂言のことだとわかる。大小狂言ははじめ狂言のことだったが、後に歌舞伎に移された。(「大小の舞」) ⇒専門の狂言師の演技を若衆が現代風にアレンジして演じた。 ⇒女形の原型の成立

猿若芸から若衆芸へ

  • 女歌舞伎の舞台で活躍した猿若の滑稽な物真似芸と踊が伝わって若衆の芸となった。(⑱『舞曲扇林』

雑芸能の取り込み

若衆歌舞伎の禁止

女歌舞伎と同様、売色と結びついていたため、風紀が乱れた。 承応元(1629)年若衆歌舞伎の禁止。 女歌舞伎禁止後から数えて二十三年後となる。

出典

①『鹿苑日録』慶長四年十一月七日条

躍子者終ニ投宿。一蔵者院主合歓。二蔵主(者ヵ)初更之節者沼首座。 及深更晋侍者合歓。両度之合歓者。非二蔵其誰乎。

②『鹿苑日録』慶長五年二月廿二日条

於天皇寺。見吉蔵少年舞袖。

③『鹿苑日録』慶長五年三月十日条

予松林院々途シテ赴社辺見物。 至若社之別当。々々他行。数刻相待出座。年比十八九也美少年。 驚凡眼。松林院同途。西殿是も神主也。藤正丸是者松林院少年。 絶言語美少年也。殊ニ有芸。於若社別当私宅。数度翻舞袖。 驚凡眼。此故ニ不及固辞。数盃沈酔シテ清三私宅ニ帰。

④『鹿苑日録』慶長五年三月十一日条

未刻ニ至伏見。僕末遅故ニ。度々数刻合待。五条ニテ躍子一覧。 九蔵ト云少年アリ。

⑤『鹿苑日録』慶長五年三月廿四日条

酩酊シテ赴五条。踊子見舞袖。

⑥『鹿苑日録』慶長六年二月十五日条

各々若衆於跡酔歌狂舞。不堪抃躍。

⑦『鹿苑日録』慶長七年二月廿六日条

於五条抃躍見児童。

⑧『鹿苑日録』慶長七年六月廿四日条

申尾ニ雨少降。頃刻止。二蔵躍一覧。各々及暮鴉帰院。

⑨『鹿苑日録』慶長八年二月廿一日条

其次侃蔵主同途シテ赴五条。 見二蔵抃躍舞袖。

⑩『慶長日件録』慶長八年七月廿六日条

申刻公家中、若輩衆、廿四五人おとり興行、被尽美麗云々

⑪『時慶卿記』慶長八年九月十七日条

五歳ノ童男カブキ跳、希代ノ義也 →『慶長日件録』慶長八年五月条 於女院、かふきおとり有之。出雲国人云々。 女御之御振舞也。

⑫『鹿苑日録』慶長九年正月廿八日条

其他者皆若衆[欠]歌衆了喜。其外下京衆一両人。少年衆五六人アリ。 乱酒之内。抃躍少人出座。躍三番。躍了テ帰宅之時。躍之少人ニ小袖一ケ。 (略)於五条終日雖抃躍。

⑬『時慶卿記』慶長九年三月廿四日条

南都ノ禰宜共参、狂言在之、又小童ノカブキ跳度々在之、獅子舞奇得ノ義也。

⑭『鹿苑日録』慶長九年八月廿二日条

於五条見抃躍少年及未尾帰院。

⑮『鹿苑日録』慶長十年二月四日条

此節於処々抃躍少年或能或舞有物見。

⑯『鹿苑日録』慶長十年十一月十四日条

則予亦欲帰去。至勝定前。自円光寺若衆酔裏之余躍踊シテ至慈照。 予則帰来シテ告之。躍衆ニ挙盞進酒。次ニ又躍衆至豊光。

⑰『鹿苑日録』慶長十五年三月七日条

赴千本見物。先一番傀儡。二番抃躍。少年小吉。三番小人嶋。猿ト云小童。 於日本凡五歳之童子也。当年迄廿五年ニ成ト云々。念仏躍ハ了テ無之。

⑱『舞曲扇林』貞享三年頃成立

又、若しゆかぶきといふ事、佐渡嶋が子は左源太、小源太とてあり。 二人ともに藝よく致し侍る故、 四条河原町におゐて始て若しゆかぶき致し、 それより次第に四條河原に芝居あまた出来ぬ。

参考文献

  • 高野辰之「若衆歌舞伎歌」(『歌舞伎研究』1、大正15年6月号)
  • 滝田英二「初期歌舞伎と狂言の交渉について」(『国語と国文学』、昭和6年8月)
  • 鈴木英輔「若衆歌舞伎とその時代」(『演劇史研究Ⅱ』第一書房、昭和7年)
  • 岩崎小弥太「原始歌舞伎に関する一異見」(『演劇学』昭和11年5月)
  • 滝田英二「能狂言の歌舞伎化」(『日本演劇史論叢』巧芸社、昭和12年)
  • 服部幸雄『歌舞伎成立の研究』(風間書房、昭和43年)
  • 諏訪春雄『歌舞伎開花』(角川書店、昭和45年)
  • 小笠原恭子『かぶきの誕生』(明治書院、昭和47年)
  • 山路興造「手猿楽狂言と初期かぶき狂言Ⅰ-若衆狂言師の系譜」(『芸能史研究』39号、昭和47年10月)
  • 諏訪春雄『歌舞伎の画証的研究』(飛鳥書房、昭和49年)
  • 郡司正勝『歌舞伎論叢』(「若衆かぶき以前の少年芸」思文閣出版、昭和54年、郡司正勝『郡司正勝刪定集』第2巻に再録。)
  • 立川洋「若衆と野郎」(『日本芸能史5 近世』、法政大学出版局、昭和61年)
  • 服部幸雄「『大小の舞図』考證」(『肉筆浮世絵大観』第四巻、平凡社、平成9年)
  • 武井協三「若衆歌舞伎・野郎歌舞伎」(『岩波講座 歌舞伎・文楽』第2巻、岩波書店、平成9年)
  • 服部幸雄「若衆の芸能と若衆歌舞伎」(『芸能史 体系日本叢書21』、山川出版社、平成10年)
  • 郡司正勝『かぶき発生史論集』(岩波現代文庫、平成14年)
  • 塩村耕『近世前期文学研究』(若草書房、平成16年)

歌舞伎の歴史へ 投稿者:Ryoko Matsuba:8pro 2010年4月12日 (火) 20:21 (JST)