竹取物語

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たけとりものがたり


画題

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解説

画題辞典

現今伝はれる日本の小説中最古のものにして、源氏物語絵合の巻に「ゑは巨勢の相覧(あふみ)、ては紀の貫之かけり」と見えたるを以て見れば、延喜以前になりしものなるべし、作者につきては、古来より源順なりという説あれども信ずるに足らず、竹取の翁竹の中より端麗にしてあたりまばゆきばかりの一女子を得、赫夜姫(かぐやひめ)と名付、めでいつくしみけるが、好色の男子貴賤となく云ひよりしも姫応ぜす、其中の五人にそれぞれ「仏の御石の鉢」「蓬末の玉の枝」「火鼠の裘」「龍の首に五色に光る玉」「燕の子安貝」を持ち来らんことを命ぜしに、何れもえ難き宝故、各困じ果て、或者は擬物を作り、或は思い止まりなどして、皆其志を遂げ得ざりしを、時の帝聞召し、姫を召さるといへども参らず、然るに姫は元来天上界の人なれば、或八月望の夜天上より迎へ来りて上天する迄の事を記せり、蓋し当時の世相を諷刺せしものなるべし。

緒方乾山絵(有尾佐治氏所蔵)あり、又近く前田青邨、小林古径引続きて之を院展に描きたり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

竹取物語は日本に於ける物語ものの最初のものといはれ、に関する文学の中で最も重要なものである。然も結構極めて妙、行文も優れてゐる、今『かぐや姫の生立ち』の原文を引き他は梗概を記す。

今は昔、竹取の翁といふものありけり、野山にまじりて竹を取りつゝ、万づの事に使ひけり、名をば讃岐造麿となむいひける、その竹の中に本光る竹一筋ありけり、怪しがりて寄りて見るに、筒の中光りたり、それを見れば三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり、翁いふやう『われ朝毎夕毎に見る竹の中に、おはするにて知りぬ、子になり給ふべき人なめり』とて、手に打入れて家に持ちて来ぬ、妻の嫗に預けて養はす、美しきこと限りなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。竹取の翁この子を見つけて後に、竹を取るに節を隔ててよ毎に、金ある竹を見つくること重なりぬ、かくて翁やうやう豊になり行く、この児養ふ程に、すく/\と大になりまさる、三月許になる程に、よき程なる人になりぬれば髪上などさだして、髪上せさせ裳著す、帳の内よりも出さず、いつきかしづき養ふ程に、この児の容貌清らなること世になく、家の内は暗き処なく光満ちたり、翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ、腹立たしき事も慰みけり、翁竹を取ること久しくなりぬ、勢猛の者になりにけり、この子いと大になりぬれば、名をば三室戸斎部秋田を呼びてつけさす、秋田、なよ竹の赫映姫とつけつ、此の程三日うちあげ遊ぶ、万づの遊をぞしける、男女嫌はず呼び集へていとかしこく遊ぶ。

赫映姫は成長するに従つてその美しさを増して行つた。そしてその噂はだん/\高くなつて来たので、貴賎のけじめなく、赫映姫を見やうと夜も寝ず闇の夜に出でゝ穴を抉り、ここかしこよりのぞき垣間見るやうになつた。その中でも姫の美しさに思ひを寄せ、我がものにしやうと昼夜となく通ひつめて来る五人の男があつた、石作皇子、車持皇子、右大臣阿部御主人、大納言大件御行、中納言石上麿である、あまりに物繁く言ひ寄るので、竹取の翁も困じ果て、姫に諮ると姫は、五人にそれ/゙\の望みをなし、これを果した人の許へ嫁がうといふ。即石作皇子には、天竺の仏の御石の鉢、車持皇子には、蓬莱にある銀を根とし黄金を茎とし白玉を実として立てる木の一枝、右大臣阿倍御主人には唐土にある火鼠の裘、大伴大納言にはの首に光る五色の玉、石上中納言には燕の持つた子安貝をと望む、五人はこれを聞き我れこそ一番にこれを得て、姫を得やうと、勢ひこんで帰つて行つた。

天竺に二つとない仏の御石の鉢をと望まれた石作皇子は、かやうなもの此の世にあるいはれはない、何か紛らしいものを得て姫を欺かうと態と三年ばかり過ぎ、大和国十市郡のある山寺の賓頭廬の前の鉢を錦の袋に入れ、作花をつけて赫映姫の家へ携へて来た、赫映姫は直ちにこれを観破して

おく露の光をだにぞやどさまし小倉山にて何もとめけむ

と一首の歌を送つたので返す歌の言葉も出ず、鉢をすてゝ帰つて行つた。

車持皇子は蓬莱の島なる玉の枝といふに、いろ/\と考へた末、工匠内麿等六人を召し人に知られぬ秘密の室を作り、姫の難題にあふやうなものを作りあげ、姫の処へ携へ行くと、姫よりは先づ翁が驚き、今度こそ姫は車持皇子の処へ行かねばならぬと思ひ込んでしまふ、皇子は仕了せたりと心に喜び、その玉の枝を得た物語を誠しやかに話してゐると、細工の料を支払はぬと内麿等が躍り込み、玉の枝の秘密を悉く暴露してしまつたので、皇子は世に合はす顔もないと山の奥へはいつてしまつた。

右大臣阿部御主人は、家も豊かに財も多くもつてゐたので、先づ唐土の船つく浦に往き王卿といふものに命じ、人に焼けぬ火鼠の裘をと頼む、王卿はやがてこれこそ火鼠の裘と美しく飾つた紺青の裘を持つて来た、翁大に喜び、姫に示す、姫は火に焼けぬものならば焼いて見やう、若し焼けなかつたらば御主人の心に従はうといふ、そして火の中にくべると、焼けぬ筈の火鼠の裘は、忽ちめらめらと焼けてしまつた。

竜の首にある五色の光の玉をと望まれた大伴御行は、早速我が家へ帰り家子郎党を呼集め竜の首の五色の玉を取つて来たものには、何事の願ひもかなへて遣すといふ、吾れこそこれを得て帰らうと海路を船出したものども大暴風にあひ、散々な態となつて帰つて来る、そして竜の御怒にふれたといふ、御行はじめて眼が覚め『赫映姫てふ大盗人の奴が人を殺さむとするなりけり、家の辺だに今は通らじ男どもな歩りきそ』と呟く。

ここにあはれをとゞめたのは、燕の子安貝をと望まれた中納言石上麿で、大炊寮の官人くらつ麿に聞かされて燕の巣を襲ひ、漸く物は握つたが、巣に近づく為め乗つた籠の綱が切れて鼎の上に落ち、腰の骨を折つたばかりか、握つたものは子安貝ではなくて、燕の糞であつた。

かくして五人は皆難題を解き得ずして退却したが、時の帝、これを聞し召し、是非とも宮に召さうと、さま/゙\に手を尽したが、姫は召に応ずる気色なく、唯歌をのみ奉つてゐた。

ある年の九月の望月、月の都からは赫映姫の迎ひが来た、これを知つた宮中からは数多の武士ども召し翁の家のあたりを囲んだが、姫は天使に守られ此の世には不死の薬と帝に上る御文を残し人々のあれよ/\と驚く中を天高く昇つてしまつた。

帝はせめて此文を焼いてと、駿河の富士ケ嶽に登らせ、文を焼いた、これから此の山をふじの山と呼ぶやうになつた。  (芸術資料)

此の『竹取物語』を画いた作に左の諸点がある。

尾形乾山筆           有尾佐治氏蔵

宇喜多可為筆          紀州徳川家旧蔵

小林古径筆           第四回院展出品

前田青邨筆           第五回文展出品

中村岳陵筆           内藤子爵家旧蔵

高田鶴仙筆           第九回文展出品

山川永雅筆  『赫夜姫上天』  第三回文展出品

吉村忠夫筆  『望の月夜』   第八回帝展出品

無款     絵巻残欠     池田侯爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)