稲村ケ崎

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いなむらがさき


画題

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解説

東洋画題綜覧

相州鎌倉由比ケ浜の南にある、新田義貞の太刀を投じたので有名である、『太平記』巻十に曰く。

新田義貞逞兵二万余騎を率して、廿一日の夜半ばかりに片瀬腰越を打ち廻り、極楽寺坂へ打ち莅給ふ、明け行く月に敵の陣を見給へば、北は切通まで山高く路険しきに木戸をかまへ、垣楯を掻きて数万の兵陣を双べて並居たり、南は稲村ケ崎にて沙頭路狭きに浪打ち際まで逆木を繁く引きかけて澳口五町が程に大船ども並べて矢倉をかき横矢に射させんと構へたり、実にも此陣の寄手叶はで引きぬらんも理なりと見給ひければ、義貞馬より下り給ひて甲を脱ぎて海上を遥々と伏し拝み竜神に向ひて祈誓し給ひけるは、伝へ承る日本甲開闢の王、伊勢天照大神は、本地を大日の尊像に隠し、垂跡を滄海の竜神に顕はし給へりと、吾君其苗裔として逆臣の為めに西海の浪に漂ひ給ふ、義貞今臣たる道を尽さんために斧鉞を把りて敵陣に臨む、其志偏に王化を資け奉りて蒼生をあからしめんとなり、仰ぎ願くば内海外海の竜神八部、臣が忠義を鑑みて潮を万里の外へ退け、道を三軍の陣に開かしめ給へと至信に祈念し、自ら佩き給へる金作りの太刀を抜きて、海中に投げ給ひけり、真に竜神納受やし給ひけん、其夜の月の入る方に前々更に干ることなかりける稲村ケ崎俄かに二十余町干上りて平沙渺々たり、横矢射んと構へぬる数千の兵船も落ちゆく潮に誘はれて、遥の澳に漂へり。

新田義貞を画けるもの左の如し

土佐光起筆  藤房正成三幅対  浅田家旧蔵

小山栄達筆  『義貞挙兵』   第九回帝展出品

白石邦彦筆  『稲村ケ崎』   第九回文展出品

川辺御楯筆  『義貞祈願』   宮田家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)