秦酒公

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はたのさけのきみ


画題

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解説

前賢故実

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秦の始皇帝の子孫、普洞王の子。曽祖父の功満王は、仲哀天皇八年の帰化。祖父の弓月君は応神天皇十四年に、百二十県の民を率いて帰化し、金銀玉帛を献上した。帝は大倭朝津間郡を下賜、養蚕と織絹に従事させ、朝廷に織った絹を献上するようと命じた。その後、帝は「秦氏が献上した絹綿は、柔らかくて暖かいため、身体にぴったり合う。」といい、普洞王に波陁の姓を賜った。酒公は雄略天皇に仕えていた。勅命により、木工闘鶏御田が宮中に楼閣を造ることになった。仕事中の御田が速いスピードで楼閣を登ったりするから、これを偶然に仰ぎ見た伊勢采女が驚いて、手に持っている御饌をひっくり返した。帝は、御田がその采女を犯したと疑い、彼を刑吏に渡そうとした。このとき酒公は側に侍り、琴を弾きながら、歌で御田の無罪を訴え、帝を諫めた。帝は悟って御田を許した。

歌曰

かむかぜの いせの いせののの さかえを いほふるかきて しがつくるまでに おほきみに かたく つかへまつらむと わがいのちも ながくもがと いひしたくみはや あたらたくみはや

(『前賢故実』)