百鬼夜行

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ひゃっきやぎょう


画題

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解説

東洋画題綜覧

くさ/゙\の変化怪物の夜々列をなして出でゆくこと、藤原時代より盛に行はれたもの、『江談抄』には

野篁並高藤卿中納言中将之時、於朱雀門過百鬼夜行。

とあり、又、『宇治拾遺物語』には第一巻に『修行者百鬼夜行に逢ふ事』が載せてある。

今は昔修行者のありけるが、津の国までいきたりけるに、日暮れて竜泉寺とて大なる寺の古りたるが、人もなきありけり。これは人宿らぬ所といへども、そのあたりに又宿るべき所なかりければ、いかゞせんと思ひて笈うちおろして内に入てけり、不動の呪を唱へて居たるに夜半ばかりにやなりぬらんと思ふ程に、人々の声数多して来る音すなり、見れば手ごとに火を灯して人百人ばかりこの堂の内に来集ひたり、近くて見れば、目一つつきたるなどさま/゙\なり、人にもあらず、あさましきものどもなりけり、或は角生ひたり、頭もえもいはずおそろしげなるものどもなり、おそろしと思へども、すべきやうもなくて居たれば、おの/\皆居ぬ、一人ぞ又所もなくて、え居ずして火をうち振りて、我をつら/\と見ていふやうわが居るべき座に新しき不動尊こそ居給ひたれ、今宵ばかりは外におはせとて、片手してわれをひきさげて堂の縁の下にすゑつ、さるほどに暁になりぬとて、この人々ののしりて帰りぬ、誠にあさましく恐しかりける所かな、疾く夜の明けよかし往なんと思ふに、辛うじて夜明けたり、うち見廻したれば、ありし寺もなし。

古く『百鬼夜行』の図がある、大方は此の物語など骨子としたものであらう。

御物藤原隆兼絵巻   近衛公爵家旧蔵

土佐光信筆絵巻一巻  京都大徳寺真珠庵蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)