琵琶記

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びわき


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那の小説、元末永嘉の人、高則誠作、全篇四十二齣に亘る、南曲(伝奇)の祖といふ。その梗概を記すと

陳留の蔡邕字は伯喈、腹に万巻の書を貯へて居ながら双親に孝養を蓋してゐたが父は却つて我が子の出世を喜んで強ひて京師の試験に上せる、新婚の妻趙五娘は気質柔順、夫の留守中よく双親に仕へてゐる中、凶年が来て衣食の代にすら事欠くことになり、その上夫は杳として消息がない、五娘は櫛笄などの身のまはりのものを売り自分は糠を食べて双親には淡飯をすゝめてゐたが遂に老父母は仆れてしまう、そこで趙五娘は隣家の張太公の情により琵琶を負ひて食を乞ひつゝ夫の行方を尋ねて京師へ上る、一方蔡邕は試験に及第し、その才能を認められ強ひて牛丞相の入婿にされる、蔡邕は心に苦しむも権勢の下、奈何ともすることが出来ない、趙五娘は京師へ上り弥陀寺の施餓鬼場で蔡邕の今の妻牛氏に出会ひ始めて身分を明すと、牛氏も貞淑な人でその志に感じ一同完聚故郷に亡父母を追悼するのが大団円となつてゐる、曲中趙五娘が官施の米を人に奪はれ身を投げやうとしたが、夫の命を憶つて思ひとまり、張太公から聊かの飯米を貰つてこれを父母にすゝめ、自ら糠を食べて空腹を凌ぐ処が情意逼つて最も有名である。  (大百科事彙)

『琵琶記』を描いたものに、第三回帝展出品伊藤小坡の作がある、趙五娘が琵琶を負うて京師をさすらふ処を描いた。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)