浅茅が宿

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あさじがやど


画題

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解説

東洋画題綜覧

上田秋成が『雨月物語』中の一篇、下総国真間の郷に勝四郎といふ男があつて、傾むいた家運を興さうと足利の絹商人雀部の曽次を語らひ、もてる田畑など売つて絹を求め、妻の宮木には秋には帰るといひ置いて京へ立つた、夫の門出を送つた妻は、その帰りを待佗びつゝ寂しい日を送つてゐる、勝四郎は京へ上つて絹など皆売り、けふは帰らう明日は旅立たうと思ふ中、関東は争乱の巷となつてゐるとの噂に心も空に、路用まとめて帰国の道すがら木曽路で盗にあひ行李残る方なく奪はれたので、また都に引返し妻のみよりに身を寄せたりする中、早くも七年の歳月は過ぎた、勝四郎はかく落魄の身を、いつまで生くべき命ぞ故郷には妻の待つものをと、遥々帰つて見れば田畑は荒れ、旧の道もわからず、あつた家もない、漸く旧の家に辿りついて覗へば人のけはひがするので門に立つて咳すれば、まさしく妻の声である『夢かとのみ胸のさわがれて我こそ帰りまゐりたれ、かはらで独自〈ひとり〉浅茅が原に住みつることの不思議さよ』と家に入れば、『妻は夫を見て物をもいはでさめ/"\と泣く』その夜は別れてからの憂さ辛さなど語り合ひ夜半に目覚めて見れば妻の姿は見えない、そこで村に生残つてゐた翁を尋ねて妻の死を知り、懇ろに供養するといふ、あはれな物語でその一節、

五更の天明ゆく比、現なき心にもすゞろに寒かりければ衾被かんとさぐる手に、何物にや籟々〈さや/\〉と音するに目ざめぬ、面にひや/\と物のこぼるゝを雨や漏りぬるかと見れば、屋根は風にまくられてあれば、有明月のしらみて残りたるも見ゆ、家は扉もあるやなし、簀垣朽頽れたる間より萩薄たかく生出で朝露うちこぼるゝに袖湿ぢてしぼるばかりなり、壁には蔦葛延かかり庭には葎に埋もれて秋ならねども野らなる宿なりけり、さてしも臥したる妻はいづち行きけん見えず、狐などのしわざにやと思へば、かく荒果てぬれど故住みし家はたがはで広く造り作せし奥わたりより、端の方稲倉まで好みたるまゝの形なり、あきれて足の踏所さへ失れたるやうなりしが、熟々〈つら/\〉おもふに妻は既に死〈まか〉りて今は狐狸の住みかはりて、かく野らなる宿となりたれば怪しき鬼の化してありし形を見せつるにぞあるべき、若し又我を慕ふ魂のかへり来りて、かたりつるものか、思ひしことの露たがはざりしよと、更に涙さへ出でず、我が身ひとつは故の身にしてと、あゆみ廻るにむかし閨房〈ふしど〉にてありし所の簀子をはらひ土を積みて壠〈つか〉とし雨露をふせぐまうけもあり、夜の霊はここもとよりやと恐しくも且なつかし、水向の具物せし中に、木の端を刪〈けづ〉りたるに那須野紙のいたう古びて文字もむら消して所々見定めかたき、正しく妻の筆の跡なり、法名といふものも年月もしるさで三十一字に末期の心を哀にも展〈の〉ベたり。

さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

こゝにはじめて妻の死にたるを覚りて大に叫びて倒れ伏す。(下略)

此の『浅茅が宿』を画いたものに左の作がある。

織田観潮筆  『浅茅が宿』  第十二回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)