柳子厚

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りうしかう


画題

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解説

画題辞典

柳子厚、名ほ宗元、柳州と號ず、子厚はその字なり、唐代の文章家にして兼ねて詩を能くす、、韓退之と並称せらる、其文態雄渾にして雅健、後世詩をいふものは李社を祖とし、文をいふもの韓柳を源とす、徳宗皇帝の時進士より起りて禮部員外郎となり、順宗皇帝の時劉禹錫等と共に政に与リしが、憲宗皇帝の時永州司馬に貶せらる。後柳州刺史に徒り幾くもなくして卒す、子厚晩年志を得ず、自ら山澤の間に放浪し湮厄咸鬱皆一に之を文に寓せり、其の木檞花を種ゆるのずは屡々画家の筆に上る所なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)