大明南禅

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だいめいなんぜん


画題

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解説

東洋画題綜覧

大明南禅は信州の人、聖一国師東福寺で謁し依止すること五年、辞して越後に至り華報寺に住す。自ら嘆じて曰ふ、丈夫当に大方に翺翔すべし豈に蝸殻に粘着すべけんやと、去つて宋に入り会稽に従つて荊癸班に参じ継で浄慈に登り断橋倫に見ゆ、橋一面器許す、後徹証を得た、景定二年橋将に寂を示さんとし、明に袈裟自賛の頂相を付す、明、両浙に周旋する十二歳、郷船に乗つて帰り聖一を洛に省観す、乃ち分座を命ず職満ちて蔵癸誉に寿福寺に謁す。癸、請ずるに第一座を以てす、就かず、摂の光霊寺に住す。弘安四年の秋、東福寺席を虚うす、丞相藤原実経、明を招じて住持せしむ、正応年中、亀山上皇、竜山の離宮に在り、時々妖怪荐りに作り妃嬪屡々魅惑せらる、群巨僉な曰く、卿能く居るか、明奏して曰く、妖は徳に勝たず、世書尚之あり、況んや仏法をや、釈子之に居る何の怪か之有らんと、乃ち、明に勅して宮に入て安居せしむ、明、衆僧と粥飯禅座す、更に佗事なし、宮怪永く熄む。上皇心を宗門に傾け習禅受衣宮を革めて太平興国南禅寺と為し、明に勅して開山始祖となす。正応四年冬、明病に東福の大室に臨す、上皇幸臥慰問す、因て詔あり宮怪鎖伏は是れ禅家尋常の事なり、我れ寂跡を見て師の徳業を定めんと、十二月十二日上皇また寝室に幸す、中夜に至つて衣を換へ安座す、上皇偈を乞ひ親しく墨を研し毫を泚す。明、頂接して即ち書して曰く

来無所従、去無方所、畢竟如何、不離常処

と筆を置いて坐化す。  (竜門夜話)

南禅寺にその画像あり、国宝に指定さる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)