壬生忠見

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みぶの ただみ


画題

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解説

前賢故実

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幼名は名多。初めは攝津に住んでいた。貧しくて地位の低い家で生まれたが、幼い頃より和歌の才能が開花して世に知られていた。醍醐天皇に召されて蔵人所で仕え、御製の和歌を賜った。

みしかども なにともしらず なにはかた 波のよるにて かへりにしかば

忠見が返歌を奉った。

すみの江の まつとほのかに ききしかば みちこししほや よるかへりけむ

帝は忠見を御厨子所へ行かせたいが、忠見が自ら頼んでくることを望んだ。この気持ちを和歌で忠見に伝えた。

さくらばな たかき梢の なびかずば かへりやしなむ おりわびぬとて

御返歌

おりわびて かへらんものか きしかげの やまのさくらは くもゐなりとも

すると、忠見は、詔によって御廚子所で仕えるようになり、六位を授けられた。家集が残されている。

(『前賢故実』)