勤操僧都

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きんそうそうづ


画題

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解説

画題辞典

勤操僧都は三論宗の高僧にして、弘法大師の師として知らる。俗姓は秦氏、大和の人、大安寺の信礼に教を受け、東大寺の善議に三論を学ぶ。弘仁元年大極殿の最勝会に座主となり僧都に任ぜらる。淳和天皇の時、西寺を掌る。天長三年大僧都に進む、翌年五月七日、西寺の北院に寂す、歳七十なり、高野山普門院に弘法大師筆と伝ふる画像あり、国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

勤操僧都は三論宗の信、俗姓は秦氏、大和の人、大安寺の信礼に就いて教を受け、東大寺の善議に三輪を学ぶ、兼ねて法相にも通じた、弘仁二年大極殿の最勝会の座主となり、僧都に任ぜられ淳和天皇の朝西寺を掌る、大和の高円山の東に石淵寺を建て法華八講を創む、天長二年大僧都に進む、翌年五月七日西寺の北院に入寂した、年七十、法臘四十七、弟子に空海がある、後僧正を贈らる、高野山普門院に絹本着色の画像がある、弘法大師の筆と伝へられ、国宝に指定されてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


きんそうそうず「勤操僧都」を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)