ArcUP0471

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恋唄 端唄つくし あはもちきな蔵 四ツ紅葉のお滝

画題:「恋唄 端唄つくし あはもちきな蔵 四ツ紅葉のお滝」

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絵師:三代目豊国

版型:大判/錦絵

落款印章:任好 豊国画(年玉枠)

版元名: 若狭屋 与市

改印: 酉三改

配役: あはもちきな蔵・・・十三代目市村羽左衛門、四ツ紅葉のお滝・・・一代目市川新車

上演年月日:万延二年(1861) 二月二十七日

上演場所:江戸 市村座

翻刻

はつうまけん

初午にはやす太鼓の

どんつんどんまけぬたぬきの

はらつゞみ、ぽんぽこどんつく

ぽんぽこぽんあんまり

たゝいてたん〱たぬきの

はらがやぶれてぺこ〱〱

これでもきつねにやまけやせぬ

めくる日かへうた

本てふし

かげろうの、もゆる柴戸に小蝶のあそび夫とは

しらで玉琴の〱糸の青柳ひきよせられて

鳥渡、こち吹てぬれかゝる軒に近付八重

梅やすいた二人がきけんじやうまだはる

わかきうくひすの

はつかしはつねを

きゝに来た

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台本

〽名におふ江戸の初芝居、曽我中村の故事も相河原崎吉例に、坂東市川市村の榮うる春そ目出たけれ。

 ㇳ 皆々引つぱりの見得、カケリになり、知らせに附き大欄間を打返す。

   假宅格子先の張物になり、此人数を隠し上手用水桶を出し、下手の浄瑠璃をあふり返し、粟餅屋の荷に替る。下手の回廊を打返し、爰に常磐津連中居並び、浄瑠璃になる。

〽浄瑠璃も曽我物語も二番目に、辰巳の富士の裾模様、狩場にあらぬ假宅の、初すがヽきに兄弟の、女郎も並ぶ見世先を、流して歩く粟餅屋。

 ㇳ すがヽき通り神楽になり、上手より臼平、杵作、着流しおしよぽからげ、粟餅のこしらへ、団扇を持ち出る。

〽これは此度ほうやれあれわさのさ、すとんと任せて夜がな夜一夜、ひつたくとつたく放れぬ中の、臼と杵の拍子よく、是ぞ評判本家本粟。

杵作 評判々々、本家本粟はこれでござい。

配役

あはもちきな蔵・・・13代目市村羽左衛門(のちの5代目尾上菊五郎) 天保15年6月4日(1844)~明治36年2月18日(1903) 享年60歳


12代目市村羽左衛門・とわ(3代目尾上菊五郎の次女)の次男として生まれる。 初め2代目市村九郎右衛門と名乗り、嘉永元(1848)年11月江戸市村座(父が座主)「碁盤忠信雪黒石」の番付に若太夫として名が載る。翌2年4月、同座「恵閨初夏藤」に鳶の者橘の市松役で初舞台を踏む。4年正月市村座「蓬莱山世嗣曽我」に父が5代目市村竹之丞を襲名したため、13代目市村羽左衛門を襲名し市村座を相続(11代目座本)。明治元年8月市村座「梅照葉錦伊達織」に5代目尾上菊五郎を襲名、弟に市村羽左衛門を譲り市村座を相続させる。翌2月に中村座の座頭となる。世話物に適し、伝来の芸風に4代目小次郎と自分の形式を加えることによって独特の形式を完成し、市川家の18番に対抗して新古演劇10種を制定した。明治36年2月脳溢血のため死去。明治の一大名優とうたわれた。


四ツ紅葉のお滝・・・1代目市川新車(のちの5代目市川門之助)  文政4年(1821)~明治11年9月12日(1878)享年58歳


江戸東両国の料理屋青柳喜三郎の子。初め5代目瀬川菊之丞の門人となり瀬川路太郎を名乗る。のち5代目岩井半四郎の門人となり岩井粂太郎と改め師とともに上方へ行く。上方で修行中に6代目松本幸四郎の門人となり松本七蔵と改め師とともに中国地方へと巡業。弘化2(1845)年江戸に戻り7代目市川団十郎の門人となり市川新車と改め正月河原崎座「魁源氏曽我手始」に勤める。明治3(1870)年2月市村座「宝来曽我島物語」に5代目市川門之助を襲名、12月栃木芝居に勤める。11年9月姉夫婦の大沢藤政宅に同居していたが12日に死去した。時代物と世話物に適し、女房役、老女役に長じたが容姿に優れ音調が高く女らしさが少なく晩年には立役として勤めた。古来の名役者の方を記憶していて9代目市川団十郎をはじめ多くの役者が指導を受けた。

(『新訂増補歌舞伎人名事典』野島寿三郎 日外アソシエーツ 2002年6月)