ArcUP0453

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総合

恋合 端唄尽 おとみ 与三郎

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絵師:三代目豊国

判型:大判/錦絵

落款印章:任好 豊国画(年玉枠)

出版年:

版元:笹屋 又兵衛

改印:子二改

配役:与三郎…河原崎権十郎、お富…岩井粂三郎

上演場所:江戸(見立)

■翻刻

「しのぶ恋路は扨はかなさよ こんど逢ふのはいのちがけ よごすなみだのおしろいも その顔かくすむりなさけ

「思はれぬ 人におもいのますかゞみ くもりがちなるむねのうち はるゝまもなき さつきやみ 月夜はにくし さりとてまゝならぬが世のならひ

「すゞ虫のわがみ思ふや しのび音の まくらならべて松のかぜ つきもさすがにあきのいろ はづかしながらしのびゆい ひぢをまくらに かりのこゑ



■梗概

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与三郎は侍の子に生まれたが、江戸元山町の小間物屋伊豆屋の養子になった。のち伊豆屋に実子与五郎が生まれたので、与三郎はその弟に家督をゆずろうとする義理だてから放蕩に身をもちくずす。そして木更津の藍玉屋に預けられた与三郎は、深川の芸者上がりで土地の親分赤間源左衛門の妾であるおとみを見そめる。二人が忍び合っているところを見つけられて、与三郎は総身に刀傷を受け、命だけはとりとめた。お富は海へ身を投げたが、通りかかった舟に助けられ、居合わせた和泉屋の多左衛門に囲まれる。

ゆすりかたりに身を落とした与三郎が仲間の蝙蝠安に連れられて偶然、お富の家にやってくる。三年ぶりにお富と再会した彼は、木更津での騒動から切られ与三と呼ばれるようになった身の上を語り、今のお富の境遇を責め、結着をせまる。お富は、多左衛門の妾ではない事実を言い、帰ってきた多左衛門は与三郎に金を与え、きちんとした生業につくようにすすめる。お富は、多左衛門に与三郎を兄だと言いつくろうが、多左衛門こそお富の実兄であった。

島流しとなった与三郎は島ぬけをして伊豆の海岸に打ちあげられる。与三郎は変わりはてた姿で六年ぶりに伊豆屋の門先に来て、下男の忠助にとくとくと意見をされ、親に別れをつげて去る。以前、島流しの刑を受け、今は品川宿で小間物を商う観音久次の家へ与三郎が来て、久次の女房になっているお富に会う。久次は与三郎の実家の家来筋に当り、恩義に報いたいと思っていたのでわざとお富に斬られ、自分の血を秘薬に混ぜて与三郎に飲ませる。久次は辰の年月日時揃った男で、そんじょ生血とこの薬を合わせ飲む効力で与三郎は無傷の体に戻る。久次は忠義がたって死ぬことを本懐とし、香炉が源左衛門の手にあると知れて与三郎は穂積家の再興をめざす。


参考文献「歌舞伎名作事典」平成8年8月10日演劇出版社

〈モデルとなった実説〉

長唄の三代目芳村伊三郎の門に入った芳村伊千五郎という者があった。後に四代目伊三郎となるほどの芸才を持っていたのだが、ある年、木更津へ旅稼ぎにいった時、土地の顔役のあかし金左衛門という者の妾おまさと知り合った。おまさは江戸の生まれだというので話があって深くなった。それが金左衛門に知られて捕えられ、二人とも責められ、身体中をむざんに斬られたが、不思議に命が助かり江戸へ逃げ帰った。ところが、年経て深川の祭壇で出会い、結局二人は夫婦となり、稽古所を開いた。弘化三年には四代目の伊三郎を襲名したが間もなく没した。

参考文献「与話情浮名横櫛」 河竹繁俊 岩波書店1958年1月7日

■登場人物

伊豆屋与三郎...江戸元山町の伊豆屋の養子与三郎は、実子の弟に家督を譲ろうと、わざと放蕩に耽り、木更津の親戚預けとなるうち、博徒赤間源左衛門の妻お富と恋に落ちる。お富と密会した与三郎は、源左衛門に見つかり、体中に刀傷を負う。やくざ者蝙蝠安の弟分となった与三郎は、強請に行った先で、今は人の花となったお富に再会する。

お富...芸者あがりで木更津の顔役赤間源左衛門の妻お富は、若旦那与三郎と出会って恋に落ちる。しかし、与三郎との密会を源左衛門に見つかり、海に投身する。和泉屋多左衛門に助けられ、その妾となったお富は、三年後、無頼漢となった与三郎と、思わぬ再会をする。

海松杭の松五郎...木更津の博徒。親分赤間源左衛門の女房お富に横恋慕し、お富と与三朗の密会を源左衛門に通報。お富を浜辺に追い詰め再び口説くが、お富は海に身を投げる。

観音久次...もと江戸のならず者。島送りとなった先で与三朗と出会い、その後、放免となってお富と夫婦になり、小間物屋を営む。偶然立ち寄った与三郎を殺すよう、お富に仕向けた上で身替りとなり、辰の年月日時揃った血で与三郎の傷を癒す。

赤間源左衛門...木更津の博徒の親分赤間源左衛門は、江戸から連れ帰った芸者お富を女房にしているが、お富が与三郎と密会すると知り、現場を押さえて与三郎を捕らえ、なぶり斬りにする。与三郎を冤罪で島送りにさせるなど、与三郎と敵対する人物となっている。


参考文献「歌舞伎登場人物事典」 白水社 2006.05.10

■配役

河原崎権十郎... 天保9(1838)年~明治36(1903)年9月13日。享年66歳。7代目市川団十郎(のち5代目海老蔵)・母ための五男として江戸堺町に生まれる。生後七日で6代目河原崎権之助の養子となり、初めは河原崎長十郎と名乗り、6歳のとき浅草猿若町に河原崎座が移転の舞台開きで初舞台を踏む。その後嘉永5年9月将軍家に長吉郎が生まれ「長」の字御停止とされたので、15歳で権十郎と名を改める。 文久2(1862)年3月に市村座にて「助六所縁江戸桜」に助六を演じ大好評となる。明治元年に養父河原崎権之助が死去したのち、2年3月にに七代目河原崎権之助を襲名し初座頭となる。7年には河原崎権之助を譲り、九代目市川団十郎を襲名する。

お家芸を本領として、時代物・世話物に適し、立役・敵役・女形を兼ねた。風采がよく、口上・台詞もしっかりして風格があり、非常に文才があり書画骨董にも長じ、社交家であった。


岩井粂三郎... 安永5(1776)年~弘化4(1847)年4月6日。享年72歳。4代目岩井半四朗の子で、12歳で岩井粂三郎と名乗り初舞台を踏む。父の芸風を継ぎ生世話物を得意とし、顔面の表情に富み、愛嬌と色気に優れた若女方を代表する役者であった。


参考文献「歌舞伎人名事典」紀伊國屋書店、2002年6月25日

絵の場面について

今回の「与話情浮名横櫛」で描かれた場面は、赤間別荘の場でお富と与三郎が忍びあっている場面であると考えられる。この話しではお富と忍びあっているのを見つけられ、与三郎は全身34か所に刀傷を負います。その後与三郎は切られ与三などと呼ばれますが、今回の絵では与三郎に傷後は見られない。他の絵を見てみると全身に傷跡が見られ、この絵は源左衛門に襲われる前の場面が描かれているものだと考えられる。

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物語について

この作品には、書き換えとして「処女浮名横櫛」という作品も描かれている。「切られお富」という狂言で、与三郎の代わりにお富の方が総身に刀傷を受けている。また昭和29年には「おとみさん」という曲が大ヒットしている。歌詞には、切られ与三などがあり、この作品がモデルになっていることがわかる。このように大ヒットした「与話情浮名横櫛」だが、実際上演される時は序幕の見染めの場、赤間別荘の場が通例であった。見染めの場では、与三郎がお富に一目ぼれし羽織を落としたことに気づかないシーンが有名である。また偶然の再開を果たした与三郎が「いやさーお富、おぬし俺を見忘れたか」などのセリフも有名である。赤間別荘では、お富との色模様でエロティシズムを、なぶり切りでサディズムを発揮し、観客を満足させた。


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まとめ

今回調べた与話情浮名横櫛は切られ与三と呼ばれ、今でも上演されるほど人気の作品である。この作品では時代によって人気のある場面が変わっている。今回の調べではなぜこの作品がここまで人気のある作品になったのか調べることができなかったので、調べていきたい。また切られ与三と呼ばれるまでの傷を受けたり、島流しにあうなどひどい目にあった与三郎がそこまでお富を愛すことができたのかなど、二人の恋愛についても調べて行きたい。


参考文献

・「歌舞伎人名事典」 紀伊国屋書店 2002.06.25

・「歌舞伎登場人物事典」 白水社 2006.05.10

.「名作歌舞伎全集第16巻」 創元社 昭和45年 7.10

.「恋する春画」新潮社 2011.6.25 橋本治 赤間亮 早川聞多 橋本麻里

.「与話情浮名横櫛」岩波書店 1958.1.7 河竹繁俊

・「歌舞伎年表第七巻」岩波書店 昭和37年3.31

・「歌舞伎名作事典」演劇出版社 平成8年8.10

・早稲田大学 浮世絵閲覧システム     http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/


〈卒論〉