清少納言
せいしょうなごん
画題
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解説
画題辞典
清少納言、其名を明かにせず、清原元輔の女なり、一条天皇の朝、後宮に入りて上東門院に仕へ、オ學を以て著はれ、紫式部と其名を齊うせり、或時雪の降れるに、皇后宮左右を顧みて、香爐峯の雪や如何と仰せられしに、清少納言は直に起ちて御前の簾を褰けたり、是れ唐の白楽天が廬山に草屋を結びし折の詩に「遺愛寺鐘欹枕聴、呑廬峯雪撥簾看」とあるが故なり、時の人其敏捷を称したりとなり、納言オ學一世に秀でたるのみならず、資性活達、好んで故事古語を引きて当代の學者と論議し、屡々有髯男子を瞠若せしめて快としたるものゝ如し、著書枕草子今に伝はりて、当代文芸の代表たり、其雪に簾を褰ひしの一挙に古来好個の画材たり、
古くは土佐光起(東京帝室博物館所蔵)、近くは冷泉為恭(別府金七氏所蔵)等の画きし所知らる。
(『画題辞典』斎藤隆三)
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
女流文学者、清原元輔の女、後宮に入つて少納言と称し、更に清原の頭字を冠して清少納言と呼んだ、一条天皇の時、皇后藤原定子に仕へ才学を以て著はれ、紫式部と名を斉うす、或る時雪の降つた後、皇后宮左右を顧みて、香炉峰の雪は如何と仰せられた所、清少納言は言下に座を立ち、御前の簾を褰げた、これ唐の白楽天が老後に、廬山の麓に草堂を結びし時の詩に、
遺愛寺鐘欹枕聴、香炉峰雪揆簾看
と賦したりし故事に基いたものであつて、時人其の敏捷なのに驚嘆したといふ、又『百人一首』に入つて有名な
夜をこめて鳥のそらねははかるとも世にあふ坂の関はゆるさじ
の歌は拾遺集雑二に出てゐて、詞書に
大納言行成物がたりなどして侍りけるに、内のもの忌にこもればとて、いそぎかへりて、つとめて鳥の声に催されてといひおこせて侍りければ、夜ふかかりけん、鳥の声は函谷の関のことにやといひ遣はしけるを立かへり、これは逢坂の関に侍るとあればよめる
とある、皇后宮深く其才華を嘉みし奏して内侍とせられやうとしたが、御兄藤原伊周が不敬の罪によつて流さるゝことになり果さなかつた、その晩年の消息は詳かでないが、只僅かに老後零落して陋屋に住んでゐた処、門前を過ぐる年少の殿上人等、その貧しいのを見て笑つたので清少納言は簾の中から、駿馬の骨を買ふものあるを聞かぬかと呼ばはつた、笑つた人々ども慙ぢて去つたと伝へられるのみである。 (大日本人名辞書)
その香炉の雪は云々のこと、収めて『枕草子』にある曰く。
雪いと高く降りたるを例ならず、御格子まゐらせて、炭櫃に火起して、物話などして集り侍ふに少納言よ、香炉峰の雪はいかならんと仰せられければ、御格子あげさせて御簾高く巻き上げたれば、笑はせたまふ、人々も皆さる事は知り、歌などにさへうたヘど、思ひこそよらざりつれ、なほこの宮の人にはさるべきなんめりといふ
とある。清少納言の簾を褰ぐる図は古来好画題としてよく画かれる、主なもの左の通り。
土佐光起筆 東京帝室博物館蔵
冷泉為恭筆 別府金七氏蔵
狩野雪信筆 根津美術館蔵
小堀鞆音筆 淡交会展出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)