浅草寺
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せんそうじ
画題
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解説
東洋画題綜覧
金竜山浅草寺、世にいふ浅草観世音これである、江戸以来の名所。『江戸名所図会』に曰く。
金竜山浅草寺、伝法院と号す、坂東順礼所第十三番目なり、天台宗にして東叡山に属せり、按るに東鑑に、建久三年壬子五月八日法皇四十九日の御仏事に、百僧供を修せらるゝと、其条下に僧衆の中、浅草寺より三口とあり、又同書に建長三年辛亥三月六日、浅草寺へ牛の如きもの忽然と出現し奔走す、時に寺僧五十口ばかり食堂に集会する所に件の怪異を見て、廿四人立所に病痾を受く、七人即座に死する由を記せり、寺僧五十口ばかりとあるときは、往古も猶大伽藍なる事を知るべし、永禄二年小田原北条家の分限帳に浅草寺家分四十貫九百文を附せらるゝよし出たり。本堂本尊聖観世音菩薩、世に伝へいふ、御長一寸八分と、しかれども古より秘仏にして輒く宝帳を褰げざれば其実を知りがたし、脇士梵天帝釈むらさきの一本といへる草紙に比二尊は行基大士の作なりといへり、四天王、脇壇、右不動明王、左愛染明王、後左右三十三身像、其余堂内に諸の仏天を安置す、中にも賓頭廬尊者は慈覚大師の作にして霊験いちじるし。
とある、本堂は十八間四面で、五重塔右にあり仁王門の前は仲見世で四時雑沓し人影を絶たず、本堂の東北には三社大権現あり、亦聞えてゐる。
浅草寺は江戸随一の名所として今日に至つてゐるので、画材となるもの挙て数ふべからず。中でも一立斎広重に最も多い。
浅草寺門びらき 東都名所の内
金竜山年の市雪景 同
浅草金竜山 江戸名所の中
浅草観世音 新撰江戸名所
現代のものでは左の作がある。
柴田耕洋筆 『浅草寺の朝』 第五回帝展出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)