阿房宮

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あぼうきゅう


画題

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解説

画題辞典

阿房宮は秦始皇帝の宮殿なり。遺跡今の陝西省西安府長安県の西北に在り。始皇帝三十五年渭南上林苑に朝宮を営まんとし、先づ前殿を作る、即ち阿房宮なり。東西五百歩、南北五十丈、渭を渡りて咸陽に赴くの複道あり、宏壮比すべきなし。後楚の項羽の一炬に焼尽して焦土となる。其の兵燹を画くもの、

仙台荒井泰治氏旧蔵に谷文晁が水戸烈公の命によりて画きしというものあり、

近年に於ては菊池容斎の作名あり、

第一回文展には木村武山の作あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

阿房官は秦始皇が三十五年、雍州長安県の西北十一里の処に築いた宮殿で、『古文真宝』によれば、

始皇三十五年以咸陽人多、先王之宮庭小、乃営作朝宮渭南上林苑中、先作前殿阿房東西五百歩、南北五十丈、上可以坐万人下可以建五丈旗周馳為閣道自殿下直抵南山、表南山之巓以為闕為複道、自阿房渡渭属之咸陽以象天極閣道、絶漢抵営室也。

然も楚の項羽の一炬に灰燼となる、その豪壮なる結構は杜牧之の『阿房宮賦』に尽してゐる。

     阿房宮賦     杜牧之 六王畢四海一、蜀山兀阿房出、覆圧三百余里隔離天日、驪山北構而西折、直走咸陽二川溶々流入宮牆、五歩一楼十歩一閣、廊腰縵廻、檐牙高啄、各抱地勢鉤心闘角、盤々焉、囷囷焉、蜂房水渦、矗不知其幾千万落、長橋臥波、未雲何竜、複道行空、不霽何虹、高低冥迷、不知東西、一日之内一宮之間、而気候不斉、妃嬪膢嬙、王子皇孫辞楼下殿、輦来干秦、朝歌夜絃為秦宮人、明星熒々開粧鏡也、緑雲擾々梳暁鬢也、渭流漲膩棄脂水也、煙斜霧横、焚椒蘭也、雷霆乍驚宮車過世、轆轆遠聴、杳不知其所之也、一肌一容尽態極妍、縵立遠視而望幸焉、有不得見者三十六年、蒸趙之収蔵、韓魏之経営、斉楚之精英、幾世幾年、取掠其人倚畳如山、一旦有不能輸来其間鼎鐺玉石、金塊珠礫、棄擲邐迤、秦人視之亦甚不惜、嗟乎一人之心、千万人之心也、秦愛紛奢人亦念其家、奈何取之尽錙銖、用之如泥沙、使負棟之柱、多於南畝之農夫、架梁之椽、多於機上之工女、釘頭磷々多於在庾之粟粒瓦縫参差多於周身之帛縷、直欄横檻多於九土之城郭、管絃嘔啞多於市人之言語使天下之人不敢言而敢怒、独夫之心日益驕固、戊卒叫函谷挙楚人一炬可憐焦土、嗚呼滅六国者六国也、非秦也、族秦者秦也、非天下也、嗟乎使六国各愛其人、則足以拒秦、秦人不暇自哀而後人哀之、後人哀之而不鑑之亦使後人而復哀後人也。

此の『阿房宮』を画けるものに菊池容斎の作があり、木村武山、亦、『阿房劫火』を画き、明治四十年第一回文部省展覧会に出品して三等賞を獲た。古書には王振鵬筆(神戸周志成氏蔵)といふものがあり、荒木寛畝にも非常な大作がある。(荒木十畝氏蔵)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)