赤染衛門
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あかぞめえもん
画題
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解説
画題辞典
赤染衛門は平安朝の歌人にて 大隅守赤染時用の女なり。初め衛門の母、平兼盛に嫁し、懐妊中離縁して家に帰るり女子を挙ぐ、後之を携へて時用に嫁す。時用養って子となすもの即ち衛門なりという。藤原道長の妻倫子に仕へ右衛門と称し、後に大江匡衡に嫁す。オ芸あり和歌を善くし、和泉式部と名を等うす。曽つて其の子挙用の病に罹るや、住吉神社に祈り、歌を三本の幣に書して奉納す。其の一に曰く、「かはらんと祈る命は惜しからて さても別れんことそかなしき」已にして挙用病癒ゆ、時人以て和歌の徳となす。又その夫匡衡が藤原公任の為めに中納言を辞するの表を作らんとして頗る結構に苦しめる時に、衛門傍よリ腹案を告げて之を助くという。
菊池容斎に住吉詣の図あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
前賢故実
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
平安朝の歌人、大隅守赤染時用の女で、一説に右衛門の母、初め平兼盛に嫁し懐妊中離縁し、家に婦つて女子を挙ぐ、これが赤染衛門で、後之を携へて時用に嫁し、時用は衛門を養女とした、長じて藤原道長の妻倫子に仕へ右衛門と称した、後ち大江匡衡に嫁し一子を挙げた、これが江挙周〈たかちか〉である、赤染衛門和歌に秀で才芸あり、その子挙周の病平癒を祈る物語は『古今著聞集』にあつて有名である。
江挙周、和泉の任去りて後、病おもかりけり、住吉の御祟のよしを聞きて、母、赤染衛門、
代らむといのるいのちはをしからでさてもわかれむことぞかなしき
とよみて御幣に書きてかの社に奉りたりければ、その夜の夢に白髪の老翁ありて、このみてぐらをとると見て、病癒えぬ。
此の住吉詣を書いた作に菊池容斎筆がある。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)