褒姒

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ほうじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那周の幽王の寵妃、褒は国の名で夏と同姓、姓は姒氏、故に褒姒といふ、幽王の三年、王これを容れて寵愛し子伯服を生むや、つひに申后及び太子を廃して伯服を太子とした、褒姒性来笑ふことを好まず、幽王その笑顔を見やうとしいろ/\とこれを試みたが、褒姒笑はず、王即ち烽燧大鼓をつくり寇あるごとに烽火をあげ諸侯を集むる例となつてゐたので、褒姒のため烽火を挙げた、諸侯集り来つたが寇もないので呆れて帰る、褒姒その態を見て始めて笑つた、それから烽火を挙げても諸侯到らず、申侯はその出づる処の申后や太子が廃せられたので大に怒り繒西夷犬戎と共に幽王を攻めた、幽王驚いて烽火を挙げたが一兵も至らず、遂に幽王を驪山の下に殺し褒姒を虜にしてしまつた。

此の褒姒と幽王を画いたものに安田靫彦筆『日蝕』(第十二回日本美術院出品)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)