藤原良縄

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ふじわらの よしただ


画題

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解説

前賢故実

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参議、正四位下にまで昇進、右衛門督を務め、太皇太后宮大夫を兼任していた。斉衡元年冬、父親の大津が赴任先の備前で病に倒れたと聞き、良縄は父の看病のために備前へ行きたいと上奏したが、許してもらえなかった。のち訃報が来たときに、慟哭の末吐血してしばらくの間に失神したが、命だけは助かった。その後、官職を辞して喪に服した。貞観元年、母親の紀氏が病床に伏せた際、良縄は寝食を忘れて母の看病をした。母が亡くなると、官職を離れ喪に服し、過度な哀痛により身体を毀してしまい、命を失うことになった。貞観十年卒、享年五十五歳。

(『前賢故実』)