稚児ケ淵
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ちごがふち
画題
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解説
東洋画題綜覧
相模の江の島の南岸にある淵、昔、雪の下相承院の稚児白菊が此の淵に投身したので此の名があるといふ、鎌倉建長寺の広徳庵に自休蔵主といふ僧あり、宿願のことあつて江の島に詣でた処、山中で稚児白菊にあひ恋慕の情やみ難く言ひ寄つたが、白菊諾する気色も見えない、自休愈々思ひ募るその切な心を白菊察して、或る夜紛れ出で江の島に赴き、扇子を渡守に渡し我を尋ぬる人あらば見せよと言遺し此の淵に身を沈めた、自休あとを慕ひ、淵に来て扇を見ると
白菊をしのぶの里の人とはゞおもひ入江の島とこたへよ
うきことを思ひ入江の島かげにすつる命は波の下草
と、自休大に悲しみ、自ら又詩一律、歌一首を遺し、同じく此の淵に身を投げて果てた、その作に曰く
懸崖嶮処捨生涯、拾有余霜在刹那、娥眉翠黛接塵沙、衣襟只湿千行涙、扇子空留二首歌、相対無言愁思切、暮鐘為孰促帰家。
白菊の花のなさけの深き海にともに入江の島ぞうれしき。
江の島に残る有名な伝説として人口に膾炙されてゐる。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)