田道間守
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たじまもり
画題
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解説
前賢故実
垂仁天皇九十年春二月、帝が田道間守に常世国へ行って橘を探してきなさいと命じた。田道間守が見つかった橘を持って帰ってきたとき、帝はすでに崩御してしまった。田道間守は帝の陵墓の前で、「命令を受けて、遠く隔たっているところまで行き、険しい山を越え激流を渡り、往復して十年を費やした。今は復命することができず、生きてなんの意味もない」と悲しく嘆き、伏して号泣の末亡くなった。群臣が感涙にむせんだ。
(『前賢故実』)
東洋画題綜覧
垂仁天皇の御宇、勅命を奉じて常世の国に橘を求めに使した人、田道間守海に泛び険を渡り、漸くにして常世の国に渡り非時香果を求め得て帰れば、天皇は此世に在さず、慟哭して遂に御陵前に絶息す、景行天皇その忠誠を哀み伏見の陵側に葬らしめた、常世の国とは今の熱帯地方のことであらうといふ。
此の天皇、三宅連等の祖、名は多遅摩毛理を常世の国に遣はして非時香の木の実を求めしめ給ひき故、多遅摩毛理、遂に其の国に到りて其の木の実を探りて、縵八縵、矛八矛を持ちて参来る間に、天皇既に崩りましぬ、爾、多遅摩毛理、縵四縵、矛四矛を分けて、大后に献り、縵四縵、矛四矛を天皇の御陵の戸に献り置きて其の木の実を捧げて叫び哭ひて『常世の国の非時の香の木の実を持ちて参上り侍ふ』と白して遂に叫哭ひ死にき、其の非時の香の木の実といふは、是れ今の橘なり。 (古事記中巻)
これを描ける作。
名取春仙筆 『橘』(かくのこのみ) 第五回海洋美術展出品
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)