朝比奈
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あさひな
画題
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解説
(分類:武者)
東洋画題綜覧
和田義盛の三男で、安房国朝夷郡に生れたので朝夷三郎と呼び、俗に朝比奈に作る、勇武無双と称せられ、嘗て将軍頼家小坪浜に遊び義秀の善く泳ぐといふのを聞き、召して其技を見る、義秀泳ぐこと数回忽ち水中浸して見えなくなつたかと思ふと、巨大な鰐三頭を捕へて現はれた、人々その猛勇に愕く、建保元年、父義盛北条氏の積悪を怒り、之を除かうとして兵を挙ぐ、義時怖れて府中に走り、実朝を挟み諸将に令を伝ふ、義盛幕府に迫るや義秀は進んで南大門を破り、向ふ処敵なく北条朝時を傷け、足利義氏を追ひ、次で馬首を廻らし若宮小路で武田信光に遭ひ之を討たうとしたが信光の子の信忠、年僅かに十三歳が父を扶けて義秀に刃向つた孝心に感じてこれを見棄て、更に小物資政を仆しその鋒に罹るもの命を殞さぬものがない、既にして義盛の一族敗るゝや、義秀五百の残兵を率ひて安房に走つたが、その終る処を知らず、或は高麗に走つたともいふ、一説に義秀は木曽義仲の妾巴の生む処であると。 (大日本史、豪雄言行録)
その勇猛が歌舞伎劇などに脚色され、その現はれの一つが朝比奈島廻りの伝説となつたりしてゐる。
英一蝶筆 『朝比奈』 故波多野承五郎氏蔵
春好筆 『五郎と朝比奈』 故市川左団次氏蔵
豊春筆 『女朝比奈』 同
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)