朝妻船

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あさづまぶね


画題

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解説

(分類:絵画)

画題辞典

近江国坂田郡朝妻の港に、遊女の船に乗りて色鬻くあり、朝妻船は即ち此遊女の乗る船でぁる。元禄の頃、英一蝶之を画きしが、時の将軍徳川綱吉が寵臣柳沢吉保の妻を愛せることを諷せるなりとして糾弾され、遂に遠島にまで処せられたので此画が益々世に名高くなった。図は船の内に女の烏帽子水干着たるがあるものにて、隆達節の左の小唄を自讃したるものである。「隆達が破れ菅笠しめ緒のかつら、長く伝はりぬ、是から見れば近江のや。」「仇し仇波、寄せては返る波、朝妻舟の浅ましや、鳴呼又の日は、誰に契りを交はして色を、枕はつかし、偽りがちなる我が床の山、よし其とても世の中。」爾来白拍子の乗船せるさま画けるを朝妻船という。

英一蝶の筆東京松沢氏旧蔵外数点あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

の下に船を繋ぎ、烏帽子水干の白拍子を手にして座してゐる図で、元禄の頃英一蝶がこれを画いて忌諱に触れ罪を得て流罪になつたので有名であり、その由来は太田南畝の『一話一言』に精しい。

     あさづまぶね     英一蝶作

隆達がやぶれ菅笠しめ緒のかつら長くつたはりぬ、是から見れば近江のや。

「あだしあだ浪よせてはかへる浪、朝妻ぶねのあさましや、あゝ又の日はたれに契りをかはして色を/\。枕はづかし、偽がちなる我が床の山、よしそれとても世の中」。

これ一蝶が小歌絵の上に書きて、あさづま舟とて世に賞翫す、一蝶其はじめ狩野古永真安信が門に入て画才絶倫一家をなす、ここにおいて師家に擯出せらる、剰事にあたりて江州に貶謫、多賀長湖といふ、元来好事のものなり、謫居のあひだくつれる小歌の中に、あだしあだ浪よせてはかへる浪、あさづま舟のあさましや云々、此絵白拍子やうの美女水干ゑぼうしを著てまへにつゞみあり、手に末広あり、江頭にうかべる船に乗りたり、浪の上に月あり、(此の月正筆にはなし、書たるもあり、数幅かきたるにや)。

あさ妻舟といふは、近江にあさづまといふ所あるに付て、湖辺の舟を近江にはいにしへあそびものゝありしゆへ、遊女のあさあさしくあだなるを思ひよせて一蝶作れるにや、文意聞したるまゝなるを誰に契をかはして色を枕はづかしといふあり、色を枕はづかしとはつづかぬ語意なるをと、数年うたがへるに、後に正筆を見ればかはして色をかはして色をと打かへして書たり、しからばわが世わたりの浅ましきを嗟嘆するにて、句を切て枕恥かしといへるよく叶へり句を切て其次をいふ間だに、千々の思こもりておもしろきにや、又朝づま舟新造の詞にあらず、西行歌、題しらず

おぼつかないぶきおろしの風さきに朝妻舟はあひやしぬらむ  (山家集下)

又地名を付て何舟といふ事、八雲御抄松浦船あり、もしほ草にいせ舟、つくし舟、なには舟、あはぢ舟、さほ舟あり、もろこし舟いふに不及。  (一話一言巻十四)

一蝶の筆といふ朝妻船で有名なのは、松沢家伝来のもので、これには一蝶と親交のあつたといふ宗珉の干物の目貫、一乗作朝妻船の鍔一蝶作の如意、清乗作の小柄を添へ、更に一蝶の源氏若紫片袖切の幅と嵩谷の添状がある。浮世絵にもこれを画いたものがある。

鈴木春信筆  松方幸次郎氏蔵

細田栄之筆  大村清太郎氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)