月見
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つきみ
画題
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解説
東洋画題綜覧
月見といふことは昔から春夏秋冬の区別なかつたのであるが、我が国では八月十五夜と九月十三夜には最も盛に行はれた、もと支那の風を伝へたものであるが、我が国に於ける月見のことの最も古く現はれたものとしては、島田忠臣の田氏家集に『八月十五夜宴月』『八月十五夜惜月』『八月十五夜宴各言志』などの題で賦した詩などがそれであらう、忠臣は文徳天皇御宇前後の人であるから、当時既にそのことあつたのが知られる、蓋し文人の社会に行はれたものであらう、和歌の方では古今集に紀貫之、素性法師、凡河内躬恒の十五夜の詠を初見とする、爾来引続き其風盛に、宴を催し、詩歌を詠じたこと諸書に散見する、又此の夜歌合を行つたのは承安三年八月十五夜、三井寺新羅社歌合最も古い、江戸時代では一般に月見が行はれ、十四日を宵待といひ、翌日の天候がわからぬから、先づ此の夜月を賞する、十五夜には団子を拵らへ、尾花その他秋草など挿し、柿、枝豆、葡萄などを供へて月を迎へる、中には舟を隅田川に泛べて此の夜の月を賞したものもある。九月十三日の夜、月を賞することは、躬恒集に延喜十九年内裏で月の宴を行はれたことが見えるのを始めとする、これから九月十三日の月見を十三夜、又は後の月といふ。 (古今要覧稿其他)
観月は古来画題として洽く行はれたもので高士観月、松下観月、竹林観月、泊舟観月あり、浮世絵にあつては美人観月など図せらるゝ処最も多く枚挙に遑も無い。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)