安倍仲麿
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あべのなかまろ
画題
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解説
東洋画題綜覧
阿部仲麿は中務大輔船守の子、幼より聡明好んで書を読む、霊亀二年遣唐留学生に選ばる、時に年十六、留ること数年唐朝に仕へ、玄宗帝左補闕を授け、儀王と友たり、後ち秘書を経て秘書監を兼ね衛尉卿となつた、勝宝年中藤原清河大使となつて唐に使するや、玄宗皇帝は仲麿をして之に接せしめた、清河帰るに臨み仲麿も帰志頓に動いたので、玄宗は使として発せしめた、然るに海上風にあつて船は安南に漂泊し、再び唐に帰る身となつた、粛宗擢で左散騎とし、安南都護に侍せしめ、光禄大夫に至り御史中丞北海郡開国公を兼ね三千戸を食み、宝亀元年二月、唐に没した年七十、仲麿、詩歌に秀で、その唐を辞せんとして作つた詩、
銜命将辞国、非才忝侍臣、天中恋明王、海外憶慈親、
伏奏違金闕、騑驂去玉津、蓬莱郷路迷、若木故園隣、
西望懐恩日、東帰感義辰、平生一宝剣、留贈結交人、
や、遥に三笠山の月を偲んだ一首、
あまのはらふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
等人口に膾炙してゐる。 (大日本史)
仲麿を画いた作、
宇喜多一蕙筆 『仲麿月波三幅対』 高橋箒庵氏旧蔵
小堀鞆音筆 『仲麿三笠山の月』 野口信太郎氏蔵
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)