壬生只岑
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みぶの ただみね
画題
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解説
前賢故実
從五位下安綱の子。和歌に長けていた。初めは藤原定国の随身であった。定国はかつて酔いに乗じて、深夜に左大臣の藤原師尹を訪ねた。師尹がいぶかしく問うと、階下にうずくまっている忠岑は歌で答えた。これに感心した師尹は、酒席を用意させ、定国らと朝まで歓談した。延喜中、宮中での歌合の場で、忠岑が詠んだ歌は帝を深く感心させた。これにより御随身に抜擢された。のち昇殿へ昇進、御書所で仕えることになり、六位を授けられた。康保二年死去、享年九十八歳。家集を残している。後鳥羽天皇が侍臣たちに「古今集の歌には、圧巻と言えるものはどれであろうか」と問い、定家と家隆がともに忠岑の歌が最も圧巻に相応しいと言った。
有あけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし
(『前賢故実』)