坂上苅田麻呂

提供: Open GadaiWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

さかのうえの かりたまろ


画題

画像(Open)


解説

前賢故実

sakBK01-0080-04_16.jpg

正四位上犬養の子。武功に名高い家柄。剛毅な性格で、弓馬が得意。宝字八年、藤原仲麻呂が叛乱を起こしたとき、中宮の玉璽と駅鈴が仲麻呂の息子訓儒麻呂に奪われたため、苅田麻呂は詔を受けて、将曹牡鹿島足とともに訓儒麻呂を射り殺した。この功により苅田麻呂は從四位下勲二等に叙せられ、補中衛少将兼甲斐守に任ぜられた。さらに功田二十町をも賜った。宝亀元年、道鏡の姦計を告発したことにより、正四位下に叙せられ、鎮守府将軍に任命された。延暦四年、從三位、左京大夫、右衛士督まで昇進した。同五年に薨去、享年五十九歳。

(『前賢故実』)