僧燦

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そうさん


画題

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解説

画題辞典

禅の二祖恵可、已に得道して正法を流布し、廣く法嗣を求む、其時四十餘歳の一居士あり、来りて曰く、吾れ今風恙に纏ふ希くは罪を懺し玉へと、恵可応じて曰く汝罪を持ち来れ汝が為めに懺せん、居士久うして曰く罪を求むるに不可得、恵可曰く我れ汝が為めに懺し終る、宜しく仏法僧に依りて住すべし、居士曰く師を見て僧を知る、仏と法とは如何、恵可曰く心は是れ仏なり、心は是れ法なり、僧亦然り、居士其意を領して曰く、我始めて罪性の内外及中間にあらざることを知る、其心、然るが如く仏法亦然りと、恵可是に於て之を器なりとし剃髪して信燦と名づけ、二年を経て正法を之に授く、即ち禅の第三祖なり、太湖縣司空山に往来して常の居なく、隋煬帝大業二年大樹の下に合掌して寂す、

京都孤蓬庵に明兆筆達磨恵可との三幅対あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)