傅大士

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ふだいし


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

傅大士は支那梁朝の人、名は翕、字は玄風、善慧大師、或は東陽大師といひ、姓を傅といふので傅大士と呼ばれてゐる。十六歳にして劉氏の女妙光を娶り、普成、普建の二子を挙げた、普通元年沂水に自身の水に映ずる影を見て廓然大悟する所があり、それから昼は妻子を携へて農事に従ひ、夜は庵に籠つて仏法を談じた、後、(梁の武帝に)召されて帝と問答し勅により双林寺を建てゝこれに住した、大士常に財法二施を以て衆の救済をなし、且つ『法華』、『涅槃』の二経を転読し天下の禳災を祈つた、大士は又、一切経の目録雑然として見るに労多きを慨き、経函を一柱に支へ回転して観覧せしむる方法を案出した、これを輪蔵といふ、後世経函の制これに倣ひ、大士及二子(普成普建)の像を安置することとなつた、陳の宣帝大建元年四月七十三歳を以て入寂す。  (仏教辞林)

傅大士、大同五年奏捨宅於松山下、因双梼樹而創寺、名曰双林、其樹連理祥煙周繞有双鶴棲止、太清二年、大士誓不食、取仏生日焚身供養、至日白黒六十余人代不食焼身、三百人刺心瀝血和香、請大士住世、大士愍而従之、太建六年己丑四月跌坐而終、寿七十有三、尋猛師果将到織成弥勒像、及九乳鐘留鎮之、須臾不見、大士道具十余事見在云々。  (伝灯録二七)

これを画いたものに左の作がある。

雪舟筆  『傅大士徳山懶山三幅対』  藤田男爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)