道成寺

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どうじょうじ


歌舞伎

原名題は「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」。長唄舞踊劇。作詞藤本斗文、作曲杵屋弥三郎、宝暦三年(1753)三月、初世中村富十郎が初演した。 紀州道成寺に伝わる安珍清姫の日高川伝説はまず能に入って「道成寺」となった。重要な曲であり、華やかさを持っているので、歌舞伎の絶好の材料となり早くは元禄頃から演ぜられた。その後初世瀬川菊之丞は「傾城道成寺」「さなきだ道成寺」を踊って道成寺物の一応の完成を見たが、富十郎はさらに曲も振りも派手に変化に富む集大成版「京鹿子」を演じて、以後これが決定版となった。 道成寺の鐘供養を拝みに出た白拍子が、女人禁制なのを特に許された代りに舞をまう。白拍子は次第に本性をあらわし、清姫の執念の蛇となって鐘を巻く。 歌舞伎舞踊の要素をすべて包合した舞踊で、それだけに難かしく、俳優にとって一天目標となっている。五世中村歌右衛門、六世尾上菊五郎が絶讃を博した。