イントロダクション

アメリカの民俗楽器(1)

アメリカの民俗楽器(2)

アメリカの民族楽器(3)

アメリカの民俗楽器(1)

フィドル fiddle (バイオリン violin)

フィドルは、物理的にバイオリンと同じ楽器だが、民俗音楽で使われる場合この名称を用いることが多い。 なぜなら、民俗楽器としてのフィドルは、楽器の持ち方、奏法、音色などが、西洋のクラシック音楽で使われるバイオリンとは、非常に異なっているからだ。
西洋音楽で使う場合、バイオリンは顎の下と肩の間にはさみ、ネックを持つ左手は肩のあたりまで高く持ち上げるが、フィドルの場合、左腕はそれほど高く持ち上げず自然に下げた感じで、よりリラックスした持ち方をすることが多い。この方が、パーティーや踊りの伴奏で長時間演奏するには適している (写真 フィドルとバンジョー原典へのリンク)。また、フィドルの音色は、バイオリンのように澄んだかすみのない音ではなく、 ギイギイした素朴で荒削りの音だ(音楽:Christmas Time Will Soon Be Over by Fiddling John Carson and His Virginia Reelers, Times Ain't Like They Used To Be Vol. 3より)。
フィドルは、スコットランドやアイルランドの民俗音楽に根ざした楽器で、これらの地域からの移民がアメリカにもたらしたものだ。楽器と伴にフィドルの独奏曲のレパートリーもアメリカに持ち込まれた。アメリカで新しく作られ曲もたくさんある。それらは、ダンス・パーティー、フェスティバル、オークション、政治的な決起集会などで演奏された。早くも1760年代には、アメリカでフィドルのコンテストが行なわれた記録があるそうだ。
フィドルは、やがてアフリカから連れてこられた奴隷達にも教えられ、プランテーションにおけるパーティーや踊りの伴奏楽器として使われた。 そして後にはミンストレル・ショーやボードビルショー(寄席演芸会)などの主要楽器として使われるようになった。
このように古くからアメリカの民俗楽器として根付いたフィドルは、今もカントリー音楽 (特にブルーグラス)、ケイジャン(ルイジアナのフランス系白人の民俗音楽)、ザディコ(ケイジャンに黒人音楽の要素などが混ざったもの)などのアメリカ音楽で重要な役割を果している。

バンジョー banjo

バンジョーは、片面だけに皮を張った平べったい太鼓のような胴に長い棹を付け、弦を張った楽器だ(写真 現代のバンジョー)。現在では、取り外し可能な裏面がついているものもある。 バンジョーは、初期のカントリー音楽やブルーグラスなどと結びついて、イギリス系アメリカ人の楽器として定着している感があるが、その起源は実はアフリカだ。 古くは13世紀のアフリカのマリ帝国に、 バンジョーの遠い祖先と考えられる楽器があった。アフリカから連れてこられた奴隷達が、手に入る材料を利用して自分のふるさとの楽器を再生したものが、バンジョーの元祖だ。
初期のバンジョーは、ひょうたんの胴に皮を貼り、棹をつけたものだったようだが、面白いことにこのような楽器はアメリカだけでなく、カリブ諸島の黒人達の間でも使われていた(写真 ひょうたんで作ったバンジョー原典へのリンク)。このように汎アフリカ社会に共通の原型が見出されることからも、バンジョーのアフリカ起源を推測できる。 バンザ(banza)、バンジャー(banjar / banjah)、バンドール(bandore)などとして知られたこの楽器は、奴隷達の娯楽として歌や踊りと伴に演奏された。
バンジョーがアメリカの白人社会に浸透するきっかけとなったのは、ミンストレル・ショーだった。顔を黒塗りにした白人が、アフリカ奴隷の風俗習慣を真似てコミカルに歌い、踊り、寸劇を演じるミンストレル・ショーは、1840年代から、旅回りの一座によって始められた。黒塗りの白人芸人による奴隷の歌や踊りのパロディーは、早くも19世紀初めに現れ、かれらはミンストレルズと呼ばれた。それを発展させて一つの確立したショーにしたものが、ミンストレル・ショーである。
バンジョーは、フィドルと並んで、ミンストレル・ショーにおける主要楽器の一つだった。ミンストレル・ショーの人気と普及にしたがい、バンジョーも都市を中心に白人社会で広く知られるようになり、やがて商品として製造・販売されるようになった。この頃までには楽器も改造され、現在のバンジョーにかなり近いものになっていたようだ。 特に注目すべき変化は、親指弦(thumb string)と呼ばれる、目だって短い弦の追加である。 早くも18世紀の水彩画に親指弦のあるバンジョーが見られるので、その起源は古いのだが、定着したのは1840年代からだろう。  親指弦は、ドローン弦とも呼ばれ、一つの低音をメロディーのバックグラウンドとして持続的に奏でるために使われる。持続低音(ドローン)の使用は、バンジョーに特徴的な響きを与える。
1860年代には、南部の白人達の間でもバンジョーは使われるようになり、やがて彼らの音楽の一部としても定着した。 ソロや歌の伴奏のほか、フィドル、ギターと伴にストリング・アンサンブルの一部としても使われた。この弦楽合奏の伝統をもとに、後にブルーグラス音楽が発展することになった。 一方、黒人の間でもバンジョーはソロ、歌の伴奏、ストリング・アンサンブルの楽器として多用され、また初期のジャズにも取り入れられた。 こうして、バンジョーはフィドルとともに、人種を超えて使われるアメリカの主要な民俗楽器としての地位を確立した。
1940年代に入ると、カントリー音楽もジャズも、より洗練されたスムースな音へと変化し、バンジョーはひとたび人気を失ったが、1950年代には、カントリー音楽の一スタイルであるブルーグラスが台頭し、そのメンバー、アール・スクラッグズ(Earl Scruggs 1924-)の開発した新しいバンジョー奏法によって、バンジョーは再び脚光を浴びた(アール・スクラッグスのウェブサイトへのリンク)。今もバンジョーはブルーグラス音楽を特徴付ける中心的な楽器として欠かせない。
現在、バンジョーの奏法には大きく二種類ある。 奴隷の演奏やミンストレル・ショーで使われていたと考えられる、より古い奏法は、ダウン・ストローキングと呼ばれ、右手の親指と、人差し指か中指の爪を使って上から下へと弦をかき鳴らすものだ。これは、フレイリング(frailing)とも、クロウハンマー(clawhammer くぎ抜きつきの金槌)ともいわれる。
もう一つの奏法は、つま弾き奏法(finger picking)である。これは、ギター・スタイル、クラシカル、などとも呼ばれ、ギターのつま弾きの奏法をバンジョーに取り入れたものだ。  1860年代に、上流社会のパーラー音楽や、軽いクラッシク音楽の一部としてバンジョーが取り入れられ、この奏法が発展したと考えられるが、1900年ごろには、田舎の黒人・白人の民俗音楽でもこの奏法が取り入れられるようになった。
1940年代には、三本指(親指、人差し指、中指)によるつま弾き奏法が発展し、1950年代には、アール・スクラッグズそれをより技術的に洗練し、独自の奏法を開発した。彼の奏法は、それまで打楽器的に伴奏をかき鳴らすのが主流だったバンジョーを、ブルーグラス音楽を特徴付けるメロディー楽器として確立したのだった(音楽: Roll In My Sweet Baby's Arms by Flatt and Scruggs, The Best of Flatt and Scruggsより。ヴォーカル・ハーモニーとスクラッグスのバンジョーに注目)。