慈鎮和尚

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じちんわしょう


画題

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解説

東洋画題綜覧

慈鎮和尚は天台の座主、初の名は道快、大僧正に叙し慈円と曰ふ、関白藤原忠通の子である、性学を好み、一技一能あるものは之を養ふて棄てず、信濃前司行長、博学の名があつたが後遁世したので、慈鎮衣食を給して救助した、故に其平家物語を著すや山門の事を記して其恩に報いたといふ、嘉禄元年九月二十四日寂す、年七十一、和歌をよくし集を『拾玉集』と云ふ。  (諸門跡譜)

その作二三を引く。

山ふかみ岩本小芹摘みに出でてそをだに春のしるしと思はむ。

鴬は花のゆかりの音なりけり待つとても鳴く散るとても鳴く。

今更にかへり住めとや菫つむわがふるさとの春のゆふぐれ。  (拾玉集)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)