ShiBK02-0113

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総合

梅由兵衛物語後編 梅花春水

うめのよしべえものがたりこうへん ばいかしゅんすい

作者:南仙笑楚満人

画工:柳川重山

版元:西村屋与八、丁字屋平兵衛、大坂屋半蔵

出版年:文政9(1826)年

巻数:1〜4

ジャンル:読本

補足:前編は山東京伝作の『梅花氷裂

成立

『梅花春水』の序より

唐山の笠翁我朝●巣林子は更にもいはす近世裨官者流のうち其冠するもの是山東の翁なら●●●天明の昔より●●しられて犬うつ童も京伝の名をいはざる者なく小幡小平次が安積沼の花がすみ且見る人の絶間なく稲妻表紙の雷名その右にいつる者を聞ずなるは善玉悪玉に蒙昧をさとし或は逢夢石に腹筋をよらす類ひ生涯に誉れを残せし著述牛に汗棟に充●大小●小説百有余部悉く枚挙すまに遑あらずそが中に李園の雑劇を翻案をし梅の由兵衛物語是前編既に世に行なはるゝ事久しといへどもいまだ後編の結局いたらざるを愁ひ書房の何某先生にその著述をさいそくせしかど竟に稿をおこさゞりしうちに黄泉の客となり給へりよつてまた書肆今年其次編を予に与ふ予曰く醒斎先生の新奇妙案いかでか少子が及ふ処なら●ゝや錦の破れたるを襤褸もて補なへるに異ならずとしきりに固辞ども聞ず●尾につき●千里を往の例もあればその高名にすかりて綴ものせば返て足下の不憶誉れを●す事もあるべきに●●筆を採たまひねとひ●すらすゝめものせしかば覚束なくも筆を染れどに子は原来活業●●昼●終日市中をかけり夜は通宵机に向かへと尚俗用の澤なれば十月八九●校訂も門生する駅亭に唯打まかせて投やれば渠も従来酔孫懶者の事なれば飲代ほしさに筆とれど意駒人狂ひ出し遊びあるけば十月廿も著述は一向棚へ揚げ先からさきへ呑あるき自己が書たものさへも覚へぬほどの隈雑麁漏これも同じき役者にて更にあ●●はならさる●者二人よせても山東が片手に足らぬ痩腕で●いやらやつと苔編た是後帙四冊●続穂の梅ヶ枝色丸もてすき帰花●兄が作意のよし兵衛に引きかへ女房小梅な愚案の筆くせ只長吉のとこしらへ吉評判を希にこと

文政九戌歳初春

狂訓亭の恩下において

南仙笑楚満人戯題

(早稲田大学所蔵本より)


為永春水によれば、山東京伝が歌舞伎を翻案して梅の由兵衛に関する物語を作ったが、完結することなく終わってしまった。そこで、自分にその話を書かないかと話があり、固辞したが結局引き受けたがなかなか書くことが出来ず、門人に書かせようともしたが無駄で、やっとできたのがこの四編である。とのことである。

『山東京伝集』によれば、初版の『梅花春水』には山東京伝の叙意が付されており、春水の序がついているものは後印本である。春水によるこの序は、「後帙四冊」の文より『梅花春水』が完結したあとに付けられたものだと分かる。

<参考> 春水には、他にも未完の作の続編を書いているものがあり、こうした春水の文筆を、作者としてのハク付のために行ったとする見方もある。

あらすじ

以下のあらすじは『山東京伝集』の解題による。

桟・藻の花の怨霊に悩まされていた蓑文太は、唐琴家の重宝氷姿鏡を手に入れ、その奇特によって一時平静を得た。蓑文太は、男鹿山から武蔵へ下り、深見閑心と名を変えて恋が窪の遊郭を徘徊している。梅の与四兵衛は、鎬藤四郎の刀を騙し取った瑳助を追って侍乳山に争う。通りかかった蓑文太は、その争いの中から刀を奪い去った。

唐琴滝次郎は兄浦右衛門の敵蓑文太をもとめて、佐倉の千本屋作兵衛方に逗留し、その娘お花と契りを交す。同宿の偽卜者鬼平次は、弥市という上州の絹商人を殺して三百両の金を奪い、滝次郎を陥れんとした。お花は盗人との私通を恥じ自害する。鬼平次こそ真犯人たることが明らかになり鬼平次は逃げ去った。上州では弥市の子弥三郎が真犯人を知らぬまま、父の敵滝次郎をもとめて旅立つ。

与四兵衛は、鎬藤四郎の刀を取り戻すため、恋が窪の遊郭で喧嘩をしかけては相手の刀をあらためている。滝次郎は権八と名を変え、三浦屋の遊女小紫となれそめるが、他方深見閑心も小紫を見受けせんとしている。与四兵衛と滝次郎は、古色ある鏡と刀をもつ閑心こそ蓑文太であることに気づき、小紫に手引きを頼む。ところが、腕の痣によって小紫と蓑文太は同腹の兄妹であることがわかり、小紫は刀と鏡を権八に残して、兄の身代りとなって討たれる。権八は、一生妻を娶らじと誓って髻を切り、小紫の死骸とともに目黒の逸月寺におさめた。世にこれを比翼塚と称した。

与四兵衛と滝次郎は、葛飾の下僕袖助のもとに身を寄せる。亡き唐琴浦右衛門の逮夜、癩病の乞食が来て、自分こそ蓑文太であり、氷姿鏡の力で元の姿となって討たれんために名告り出たと語る。滝次郎のさし出した氷姿鏡の奇特によって癩病は平癒したが、蓑文太はかえって滝次郎を返り討ちにせんとする。そこへ与四兵衛が戻り、妹小紫の霊に助けられた袖助とともに、蓑文太をついに討ち果たした。絶海禅師は、大明からもち帰った金魚に端を発する因果の糸を説き示し、また、誤って殺された長吉は、与四兵衛が日頃大切に崇める梅の木が身代りとなって存命したと語る。長吉は、袖助の父源兵衛の養子となり、与四兵衛夫婦はその忠孝を県令から賞せられ、地所を賜った。今に梅堀、小梅、源兵衛堀と称している。滝次郎は、氷姿鏡と鎬藤四郎の刀を携えて主君貞行のもとへ急ぎ、唐琴家を再興した。

上州の弥三郎は、父の敵は滝次郎ではなく、鬼平次という者であることを知り、今は越前国三国の敦賀屋の下男となっている。ある日、岡澄久馬と名を変えた鬼平次が敦賀屋に宿る。その夜、傾城を集めた百物語の末に、鬼平次は弥市を殺して三百両を奪った晩に、石地蔵が物を言った不思議を語る。弥三郎はそれを聞き、弥市の子と名告りかけて、鬼平次を討ち果たした。このとき、滝次郎は三国の本陣にあり、敵討を聞いて、弥三郎を主君貞行に推挙した。唐琴の家では、絶海禅師を迎えて施餓鬼を修し、その夜の夢に、藻の花、桟、小紫の成仏を知った。滝次郎は、非命に死んだお花、小紫を哀れみ、一生本妻をめとらず、妾白糸を賜り、子孫繁盛した。