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総合

「東海道五十三次 大津 吃又」「東海道五十三次 草津 女房お徳」

画題:「東海道五十三次 大津 吃又」「東海道五十三次 草津 女房お徳」

絵師:三代目豊国

版型:大判/綿絵

落款:豊国画(年玉枠)

改印:巳三改

配役:吃の又平…一代目 中村福助、女房のお徳…二代目 尾上菊次郎

上演:江戸(見立)

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題材

「けいせい反魂香」近松門左衛門作の浄瑠璃。三段曲。宝永五年(1708)の竹本座(人形浄瑠璃)五月~十二月初演。宝永二年という説もあるが、宝永五年が名優と称されていた中村七三郎の急遽の追善と絵師の狩野元信の百五十回忌の当て込みなどの指摘から宝永五年の説が有力。実在人物の狩野元信と土佐光信をモデルとして、主人公の狩野四郎二郎元信と傾城遠山とのロマンチックをも込めた近江国の大名家のお家騒動物語だが、歌舞伎では改作をかさね絵師の又平とその女房のお徳の夫婦愛情と吃りがなおる又平の奇跡を描いたものがが主に上演される。


あらすじ

<上の巻>絵師の狩野四郎二郎は越前の国気比の浦で土佐将監の娘の傾城遠山から武隈の松の秘伝を伝授される。その功により六角頼賢にとりたてられる。主君の娘の銀杏の気にいられ夫婦の縁を結ぶが、お家の転覆をはからう不破道犬・伴左衛門親子に罪におとされて束縛される。元信は自ら肩を噛み血をながして虎を描いたところ、絵から虎がでて元信を助ける。この虎は土佐将監のお家のまわりに現れるが、将監がその虎の正体を見破り弟子の修理之介がこれを消し去る。その功で修理之介は土佐の光澄の苗字を許される。これを聞いた兄弟子の吃りの又平とその女房のお徳は土佐将監に駆けつけ生活の貧しさなどをいい絵師として弟弟子の修理之介と同じく土佐の苗字を許すよう申す。ところが、何の功もなく吃りめ吃りめといわれんばかり立ちかえれと叱られる。師匠の命令で狩野元信を助けにいこうとする弟弟子の修理之介の袖をつかみ情けを求めることも躊躇なくするが余計に叱られるばかり。結局、又平は女房お徳に手水鉢に絵姿を書きのこし自害して贈り号を待つのみといわれ手水鉢に絵姿を書き出す。その念力が徹し御影石を通してその裏にも現れる。これを見て驚いた土佐将監は即時土佐の光起の苗字を許す。 …後略…


登場人物

 「吃の又平」…生まれつきの吃りで家は貧しく、大津の通行人を相手に大津絵を売りながらその生活を延命する絵一筋の人物。師匠に土佐の苗字を許すよう懇願するも許してもらえなく、望みを失った又平は死を覚悟し手水鉢に絵姿を書き出すもその念力で奇跡が起こり土佐光起の苗字を許される。

 「女房のお徳」…師匠から苗字を許されない吃りをもつ浮世又平の妻で、吃りの夫にかわり師匠への挨拶や苗字許可の懇願を口上する。夫に対する愛情が深くその心情をよく察して、絶望した又平に手水鉢に絵姿を残して自害し贈り号を待つよう勧める。

配役

 初代 中村福助:二代目中村富十郎の門人中村富二郎の次男として生まれる。弟に政治朗(のち二代目福助)がいる。初めは中村玉太郎と名乗り修業するも、八歳のとき四代目中村歌右衛門の養子となり翌年の中村座で福助と名を改める。4・5・6変化などで大好評を得る。万延元(1860)年7月に四代目中村志翫を襲名する。相次ぐ作品での好評を得てそれから東都を代表する役者よなる。明治期の歌舞伎座焼失などで全国を旅まわる。明治二十六年の舞台で宙乗りの際に墜落し右足を折り療養した記録もある。その翌年に舞台に復帰して明治三十一年の演伎座「絵本太功記」が名残りの舞台である。背は低くても風姿・口跡がよく、立役・実悪・女方をかさね東西の舞台に勤めた。養子に三代目中村福助(のち離縁し中村寿太郎)・五代目中村志翫、門人に中村翫右衛門がいる。


 二代目 尾上菊次郎:七代目片岡仁左衛門、二代目中村富十郎の門人を経て、三代目尾上菊五郎の門下となり天保六年十一月中村座で二代目尾上菊次郎を襲名。妻はるは三代目菊五郎の後妻きくの妹。四代目市川小団次の女房役者として知られた。時代物・世話物に適し、若女方としていずれの役も熟し名優お言われた。

 ※実際の歌舞伎上演では嘉永二年(1849)十月の河原崎座で「けいせい反魂香」で又平を四代目市川小団次が、お徳を二代目尾上菊次郎が演じている。初代中村福助は安政四年(1857)「返魂香」と安政五年(1858)「けいせい返魂香」にて又平役と歌之助として出演するも尾上菊次郎は見当たらず、見立とした。


場面

 お徳が硯と墨を手にして又平は水のある石、手水鉢に筆を持って何かを描いているように見える姿。又平がお徳に「手水鉢に絵姿を書きのこし自害して贈り号を待つのみ」といわれ手水鉢に絵姿を書き出すところだとわかる。

台本

 ※前後のセリフが長いためここでは省略。お吉は又平の女房のお徳のこと。

 ※強調されているところは『近松門左衛門集③』には無かったが、『鑑賞 日本古典文学 第29巻 近松』にあったため書き写した所。区別のため。

 〔お吉〕 ハア、サア 又平殿 もふ覚悟さつしやれ 今生の願ひは切れた 生きて恥を晒そふよりは 此手水鉢を石塔として こなたの絵像を描き留め 此場で自害して死で下され わし迚も 契りは未来で添いませふ せめて贈り号を待つばかり

 ト又平の手を取り、ホロリと思入あって、手も二本、指も十本ありながら、なぜ不具にならしゃんしたぞいなァ。

   〽硯引寄せ墨摺れば 又平も打うなづき 涙ながらに筆執りて 歩む足取吃りなし 石面にさし向い

 〔又平〕 手も弐本 指も十本 同じ人間に生れながらに 三年先の大病より 生れも付きぬ吃りと成 人に笑われ 疎(うと)まれる 舌三寸の誤りで 身を果す刃と成たか 女房ども    〔お吉〕 こちの人 もふこふ成て 何愚図〈と言わしやんす 只この上は極楽浄土の仏絵師と成つて 今生の恥を雪がしやんせ

 〔お吉〕それ〈

 〽是今生の名残の絵 姿は苔に朽つるとも 名は石魂に留まれと 我姿を我筆の 念力や徹しけん 厚さ尺余の御影石 裏へ通つて筆の勢 墨も消へず両方より 一度に書たる如くなり

 ト手水鉢に仕掛にて 書たる又平が姿裏へ通る

語彙

 反魂香:もともと漢武帝が死んだ李夫人を恋い慕い、深夜、香をたいたところが、その姿が現れたとの話にもどづく。本発表の吃又の話とは関係ない。

 御影石:花崗岩

 手水鉢:手水鉢(ちょうずばち)とは、元来、神前、仏前で口をすすぎ、身を清めるための水を確保するための器をさす。


解説

 ※文献資料引用

 この絵で扱っている場面は上述したように、吃りの又平が奇跡を起こすという話で「けいせい反魂香」のストーリの中では<上の巻>の山土佐将監閑居の場 での「吃の段」にすぎない。だが、歌舞伎の上演では増補改作を繰り返し「名筆傾城鑑」では、土佐の将監が手水鉢を刀で切ると吃りが治るとの改作もある。吃りが治癒されるほか原作には充実している。以降は改作が主流として、元信や遠山などの主人公不在の「吃の段」のみが上演されるようになる。


参考資料

『歌舞伎名作事典』服部幸雄 演劇出版社 平成5年1月10日

『歌舞伎人名事典』野島寿三郎 日本アソシエーツ 2002年6月25日

『歌舞伎年表第一巻』伊原敏郎 岩波書店 昭和31年8月30日、同第六巻・七巻

『歌舞伎登場人物事典』河竹登志夫 白水社 2006年5月10日

『歌舞伎名作事典』金沢康隆 青蛙房 昭和34年9月15日

『歌舞伎事典』服部幸雄 平凡社 2011年3月25日

『最新歌舞伎大事典』宮澤康秀 柏書房 2012年7月25日

『近松門左衛門集③』鳥越文蔵 他 小学館 2000年10月20日

『名作歌舞伎全集』山本二郎 他 東京創元社 昭和44円10月15日

『鑑賞 日本古典文学 第29巻 近松』大久保忠国 角川書店 昭和50年10月30日

『歌舞伎台帳集成 第十七巻』歌舞伎台帳研究会 勉誠社 昭和63年12月20日

「wikipedia」 手水鉢 2013年1月16日 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%B0%B4%E9%89%A2