ArcUP0470

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恋唄 端唄津くし 不破伴左衛門 契情葛城

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画題:「恋唄 端唄津くし 不破伴左衛門 契情葛城」


絵師:三代目豊国

版型:大判/錦絵

落款印章:任好 豊国画(年玉枠)

版元名: 若狭屋 与市

改印: 酉三改

配役: 不破伴左衛門・・・四代目中村芝翫、契情葛城・・・三代目沢村田之助

上演年月日:万延二年(1861)二月 「鶴春土佐画鞘当」

上演場所:江戸


翻刻

本てうし 紫の結めかたきのかへうた

かつらぎのむすびめ

かたき名古屋おび

とけぬをといて深緑

夜のちぎりは岩はしの

いはでこヽろに命毛を

すてヽも君へ心中だて

ふかいあさいは客と間夫

くらうするのも、男ゆゑ


本うた

名にしおふふじとつくばの山あひに露の情の一夜妻、

いろもほのめくちぐさの里へ人目の関をしのびつゝ

木のまがくれにあふ夜さは水に隅田の月もいや


語彙

命毛…筆の穂先のとがった長い毛。文字を書くのに最も大切な部分であることからいう。

心中だて…その人と同じ心で随従することによって、まごころを示すこと。特に男女が操を守りとおして、他に心を移さないことにいう場合が多い。

間夫…遊女の情人。娼妓が職業上の客としてではなく、愛人として会う男。

一夜妻…一夜だけの妻、の意から遊女。

出典:中川幸彦、岡見正雄、阪倉篤義 『角川古語大辞典』 角川書店 昭和17年6月



題材

原作は文政6年3月江戸市村座に鶴屋南北の書き下ろした狂言で、山東京伝の『昔語稲妻表紙』に出てくる不破伴左衛門、名古屋山三の世界と、別に巷説で名高い白井権八、三浦屋小紫、幡随長兵衛の世界とを、「ないまぜ」にした長い芝居である。稲妻は『昔語稲妻表紙』を暗示したもので、通称を『稲妻表紙』『鞘当』、別名題として『名古屋帯雲稲妻』『廓模様比翼稲妻』『濡乙鳥比翼稲妻』がある。

出典:藤野義雄 『南北名作事典』 桜楓社 平成5年6月5日        戸坂康二他 『名作歌舞伎全集 第9巻 鶴屋南北集一』 東京創元社 昭和44年4月25日

※尚、この見立て絵の万延二年に上演された題目は『鶴春土佐画鞘当』となっている。


あらすじ

『浮世柄比翼稲妻』

名古屋三左衛門と白井兵左衛門を殺した不破伴左衛門は三左衛門の子山三と相愛の腰元岩橋に恋慕して失敗し、山三もろとも浪人する。兵左衛門の子権八は主家横領をたくらむ伯父本庄助太夫を討ち出奔。蛇遣いで顔にあざのある娘お国は絵姿の山三に惚れる。傾城葛城となった岩橋は山三の浪宅を訪問し、山三の下女となったお国は彼の危難を救って死ぬ。夜桜の吉原で伴左衛門と山三が鞘当し争うところを長兵衛女房お近が仲裁。伴左衛門は山三と葛城の密会を出し抜き、葛城と枕を交わすが、実の妹と知れる。山三が伴左衛門と思って討ったのは身代わりの葛城であった。

出典:下中直人 『歌舞伎事典』 平凡社 1983年11月8日


登場人物

不破伴左衛門…豊臣秀次に寵愛された呼称で、美少年と名高かった不破万作(伴作)が不破伴左衛門のモデルといわれている。延宝ごろ初演の土佐浄瑠璃『名古屋山三郎』に、傾城葛城をめぐって名古屋山三郎と争う相手とされたのが劇化の最初。

葛城…名古屋山三との不義があらわれ、佐々木家を追放された腰元岩橋は、浪人している山三に貢ぐため、吉原上林の傾城葛城となる。もと同家中で、今は白柄組の寺西閑心と変名している不破伴左衛門に横恋慕され、暗闇で山三と思い込み誤って枕を交わしてしまうが、のちに生き別れの兄妹であることが判明。伴左衛門の身替りとなり、待ち伏せしていた山三に斬り殺される。


出典:古井戸秀夫 『歌舞伎登場人物事典』 白水社 2006年5月10日


配役

不破伴左衛門…四代目 中村芝翫 文政13年3月3日(1830)~明治32年1月16日(1899) 享年70歳。

2代目中村富十郎の門人中村富四郎(のち座の頭取)の次男として生まれる。弟に政治郎(のちに2代目福助)がいる。はじめ中村玉太郎と名乗り師に付いて修業。後に中村駒三郎と改める。天保9(1838)年4代目中村歌右衛門の養子となって江戸に下り、翌10年3月中村座「花翫暦色所八景」に中村福助と改める。万延元(1860)年7月4代目中村芝翫を襲名。時代物と世話物に適し、背は低かったが風姿・口跡がよく、立役・実悪・女方を兼ね、東西の舞台に勤めた。


契情葛城…三代目 沢村田之助 弘化2年(1845)~明治11年7月7日(1878) 享年34歳。

5代目沢村宗十郎の次男。初め沢村由次郎と名乗り、嘉永2年(1849)7月江戸中村座「忠臣蔵」で初舞台を踏む。安政6年(1859)年正月、中村座「魁道中双六曽我」で3代目沢村田之助を襲名。文久元年(1861)2月中村座「御国松曽我中村」と市村座「鶴春土佐画鞘当」に掛け持ちで勤め大好評を得る。この頃、田之助髷や田之助襟、田之助下駄などが流行する。性格は勝ち気で喧嘩っ早いところがあったが、美貌と才気に富み、髪形やファッションにおいて時代の先端を行き、たくさんの流行を作った。当時の美人画の顔は、田之助に似せたという。慶応元年に脱疽を患い、片足を切断するも舞台を勤め上げる。明治5年(1872)正月村山座にて「国姓爺姿写真鏡」を最後に引退する。しかし、その後も女方を勤める機会を得て大坂や京都などで舞台に立っていた。世話物に適し、口跡・台詞・口上に音声が良く、立役も兼ねたが、女方を本領とし、将来を期待される役者であったが、病気が再発し明治11年春に狂死した。


出典:野島寿三郎 『新訂増補歌舞伎人名事典』 日外アソシエーツ 2002年6月25日


台本

※文政六年三月市村座の「浮世柄比翼稲妻」の台本である

           第二番目 中幕 上林二階廊下の場 同、葛城部屋の場


伴左 葛城が病気の床、山三を引込む前かたに、今の話で先き駈けして、こゝでこつそり。(ト思ひ入。此時、猫一疋出て、伴左衛門にじやれかゝる。伴左衛門恟りして)

   エヽ、何をしやァがる。(ト蹴飛す拍に、一巻落す。ちやつと取つて)寝るにもうつかり、離されぬ。

     ト灯を吹消し。床へ入る。時の鐘、合ひ方になり。奥より葛城出で来り、探り/\、床へ入る。小聲にて

葛城 山三さん。来なんしたかえ。

     ト言ふ。伴左衛門頷き、思ひ入ある。葛城、山三と心得寄添ふ。伴左衛門夢中になりしが、ふツと心附き、懐中の系圖を蒲団の下へ隠す。

     矢張り此猫狂ひ居る。葛城思ひ入あつて

   伴左衛門に見られぬうち……モシ。

     トこなし。屏風引廻す。唄になり、奥より権兵衛出で来り

   (中略)

     ト屏風を取る。伴左衛門葛城一つ蒲団の上に寝て居る。葛城、伴左衛門を見て、驚き

葛城 ヤ。そんならお前は。

伴左 山三が吹きへ、伴左衛門だワ。

葛城 エヽ。

伴左 すツぱり行つた。

半助 おめでたうござりました。

伴左 コレ、葛城。今から汝とは眞の色事。知らぬながら、かうなるからは、あんまり懀うはあるまいがナ。

     ト葛城口惜しき思ひ入。

葛城 そんなら此くらがりを幸ひに、主と思はせ、私をば、おとさう為の拵へ事か。さうとは知らず、恥かしい。こりやどうせう、どうせうぞいなア。


出典:坪内雄藏、渥美清太郎 『歌舞伎脚本傑作集 第弐巻』 春陽堂 大正10年3月18日


衣裳について

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不破伴左衛門の雲に稲妻の衣裳は、初代市川団十郎が不破伴左衛門を演じた際、稲葉の「稲妻の始まり見たり不破の関」という俳句から思い付いたものだと言われている。

出典:藤野義雄 『南北名作事典』 桜楓社 平成5年6月5日

出典:切畑健 『歌舞伎衣装』 京都書院 1994年3月20日(画像)




髪型について

立兵庫(伊達兵庫)…傾城特有の髪型で、髷が大きく広がり、これに二十種以上の櫛や簪などのさし物をさす。女方の髪型として最も豪華なもの。

…元来は金属製や象牙製の、髪をかき上げるものであったが、笄で髪をまとめる笄髷が生じてより実用品として更には髪飾りとして発達した。鼈甲製の斑のないものを最上とし、細長い長方形のものが多い。馬爪製の安価な代用品もある。

※葛城がこの場面においてしている笄というのは、双子の兄である伴左衛門と対になる笄である。


出典:菊池明 花咲一男 『原色浮世絵大百科事典』 第11巻 歌舞伎・遊里・索引 大修館書店 昭和57年11月10日


場面

 翻刻より、「夜のちぎり」「一夜妻」とあること、また描かれている人物が契情葛城と不破伴左衛門というところから、伴左衛門が山三と葛城の密会を見たあと、布団に忍び込んで待ったいたところ、葛城が山三が先に布団に入っていたと勘違いし、情を交わしてしまうというまさにその場面ではないかと思われる。    しかしながら、坪内雄蔵氏他編の『歌舞伎脚本傑作集』第貮巻における「浮世柄比翼稲妻」の台本において、葛城と伴左衛門が夫婦となることを正式に葛城が認め、山三と言い合いになる台詞の中にこのような記述がみられる(以下一部引用)

     ト合ひ方になり、葛城ズンと立つて、締めて居る帛紗帯を解き

 葛城 私が心は此通り、(中略)間夫と客との手管にて、二道かけるぢゃ無いけれども、義理と情けの鯨帯、合はせた

    物は何時か一度、離れにゃならむも世の成り行き、結び目堅き名古屋帯、切れてこれから雲の帯、締め替える気で、ございんすわいなァ。

 (中略)            ト帯を締め立ち上る。此時、山三刀の鐺にて、しっかり留め、屹度見得。胡弓入りの合ひ方になり

 山三 エヽ、汝はなァ。廓にあつては君、傾城、一夜流れの浮かれ女に、誠ありとは思はねど、女郎の舌頭取るに足らねども、それと是とは譯が違ふ。(省略)

 このように、本ちょうしや本うたに見られる単語が実際見られる場面は葛城と山三のやりとりからである。しかしながら、これらの語は葛城においては、自身の心変わりを示す語として使われ、山三においてはそういった葛城の言動に対するなじりとして使われており、本ちょうし本うたにはそのような感が見られないため、引用しつつ、場面に合わせて改変を行ったのではないかと推測される。また、この場面を描いたであろう浮世絵をいくつか載せているが、そのどの葛城も懐紙を携帯しており、懐紙をくわえて描かれることが多いということ、さらには帯に手をかけ解いている、または結んでいるというものが多いということがわかった。

出典: 坪内雄蔵他編 『歌舞伎脚本傑作集』 第貮巻 春陽堂 大正10年3月15日


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参考文献

・中川幸彦、岡見正雄、阪倉篤義 『角川古語大辞典』 角川書店 昭和17年6月

・坪内雄藏、渥美清太郎 『歌舞伎脚本傑作集 第弐巻』 春陽堂 大正10年3月18日

・古井戸秀夫 『歌舞伎登場人物事典』 白水社 2006年5月10日

・野島寿三郎 『新訂増補歌舞伎人名事典』 日外アソシエーツ 2002年6月25日

・下中直人 『歌舞伎事典』 平凡社 1983年11月8日

・藤野義雄 『南北名作事典』 桜楓社 平成5年6月5日

・戸坂康二他 『名作歌舞伎全集 第9巻 鶴屋南北集一』 東京創元社 昭和44年4月25日

・菊池明 花咲一男 『原色浮世絵大百科事典』 第11巻 歌舞伎・遊里・索引 大修館書店 昭和57年11月10日

・切畑健 『歌舞伎衣装』 京都書院 1994年3月20日(画像)

・アートリサーチセンター http://www.arc.ritsumei.ac.jp