ArcUP0462

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総合

恋合 端唄尽 清玄 惣太

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絵師: 三代目豊国

落款印章: 任好 豊国画(年玉枠)

改印: 申六改

出版年月日:万延元年(1860)六月

出版地: 江戸

画題: 「恋合 端唄尽」 「清玄 惣太」

上演年月日:

上演場所: 江戸 (見立)

配役:清玄 三代目 岩井粂三郎

   惣太 初代 河原崎権十郎


【翻刻】

春雨にしっぽりぬるる鶯のはかぜに

匂ふ梅が香の花にたはむれ

しほらしや小鳥でさへも一筋にねぐら

さだめぬきはひとつ私は鶯ぬしは

梅やがて身楽気まゝになるならば

サアおおしゆくばいじゃないかいな

サッサなんでもよいわいな


月花もおよばぬ極めの粧ひにうつりがゆかし

そふもやうむねにこらゆる初恋のつゝむと

すれどもひとすじに人目がねだるみやづかい文のたよりを

待つばかりやがて心おきなくくらすなら サアう連しい事じゃないかいな

サッサいまからまつわいな


あきさめにのきのしづくもおとすみて身につまされる

はつかりのわたるもこいのゑんのはしなかぬほたるの

ひとすじにこがるるむねはただ

ひとつぬしはかわりしそらのくせ

やがてかぜにすすきとなびくなら

サアうれしいことじやないかいな

サッサ心でまつわいな


  • おうしゅくばい 鶯宿梅

村上天皇の時、清涼殿の梅が枯れたので、紀内侍(きのないし)の家の梅を移し植えさせたところ、枝に「勅なればいともかしこし鶯(うぐいす)の宿はと問はばいかが答へむ」の歌が結び付けてあり、これを読んだ天皇は深く恥じたという故事。また、その梅。 (「大辞林」三省堂)


  • はつかり 初雁

秋に、北方から初めて渡ってくる雁。 (「広辞苑」岩波書店)


【題材】

『隅田川花御所染』

概要鶴屋南北作。文化十一年(1814)三月三日初日で市村座に書き下ろされた六幕十九場のお家狂言。清水寺の僧清玄が桜姫の容色に迷い、堕落して殺されてもなお怨霊となって姫に憑りつくという内容の「清玄桜姫物」と呼ばれるジャンルの一つ。土佐浄瑠璃の『一心二河白道』に端を発するものらしいが、出羽掾の『一心二河白道』からという説もある。また近松門左衛門作の同名の歌舞伎作品もある。その系統に鶴屋南北のこの作品があり、江ノ島の稚児ヶ淵伝説とも絡んで構成されている。また「鏡山」「隅田川物」の世界もないまぜにしているため、多少複雑な印象がある。清玄の性別を女性に変えていることから、通称「女清玄」といわれる。


『一心二河白道』は、桜姫を見初めた清水寺の若僧清玄が生霊・死霊になって付きまとうが、桜姫は観音の導きで極楽往生を果たし、子安地蔵となったという話である。


また『桜姫東文章』は、自久坊は稚児白菊丸と心中をはかり、一人生き残る。十七年後、自久坊は清玄阿闍梨という高僧になり、白菊丸の生まれ変わり桜姫と出会う。忍び男の罪を引き受けて寺を追放される。女犯の罪で晒し者となった清玄は、破戒堕落を決意する。「破れ衣に破れ笠」の姿となり、赤ん坊を抱いて桜姫を追い求める。青蜥蜴の毒で殺された清玄は落雷のショックで蘇生する。桜姫に白菊丸の因縁を語り、恋の思いを遂げさせてくれと迫る。墓穴に落ちて死んだ清玄は、死霊となって桜姫につきまとう。という話である。


【あらすじ】

入間の姉姫花子の前は、許婚松若の死を聞き剃髪して清玄尼となる。

妹桜姫の許婚大友常陸之助が松若に似ているのを見て心迷う。

常陸之助が松若と察した清玄尼は、惨めな姿で追っていく。

一年後の隅田川のシーン。零落した清玄尼は松若の舟とすれ違う。

庵室で桜姫に逢った清玄尼は、松若を思い切れと迫り、嫉妬に燃えて姫を追うが、惣太に殺される。

死後もなお悪霊となって姫につきまとう。

高貴な姫が女郎に落ちぶれてでも恋に執着する姿を描いた。


【登場人物】

清玄尼・・・モデルは清玄桜姫物語の主人公清玄。この作品では性別を女性に変更している。

惣太・・・モデルは『双生隅田川』の猿島惣太。堀河天皇の世、隅田の川辺に住んで人身売買を稼業としていた。もともと名前は与えられていなかった。今作では、清玄尼を破戒させ、桜姫を追い出してお家を横領しようと企む局岩藤と兄の平内左衛門に加担している。


【配役】

清玄尼・・・三代目 岩井粂三郎 文政12年10月2日(1829)~明治15年2月19日(1882) 享年54歳

七代目岩井半四郎の子。初め子役として岩井久次郎と名乗り江戸の舞台に勤めていたが、天保3年(1832)三代目粂三郎と改める。弘化元年(1844)父が七代目半四郎を襲名するも翌2年4月没し、4年4月には祖父が没す。文久3年(1863)11月中村座で二代目紫若と改める。明治5年(1872)八代目半四郎を襲名。14年正月新富座に藤の方役、以降病気がちとなる。翌15年正月春木座に2~3日勤めたが発病し、2月死去。幕末から明治初期の若女方の名優であった。清玄尼は祖父である五代目岩井半四郎が得意としていた役であるため、正統な芸を継承したと思われる。


惣太・・・初代 河原崎権十郎 天保9年(1838)~明治36年9月13日(1903) 享年66歳 七代目市川団十郎の五男として江戸堺町に生まれる。生まれて七日目にして江戸木挽町河原崎座の座主六代目河原崎権之助の養子となり、舞踊・絃歌・書画・茶花などの修業をする。初め河原崎長十郎と名乗る。嘉永五年九月将軍家に男子が生まれ長吉郎と命名されたので長の字を憚って権十郎と改める。明治2年3月、市村座に七代目河原崎権之助を襲名し初座頭となる。7年7月、九代目市川団十郎を襲名。36年5月歌舞伎座「春日局」にお福の方のち春日局と家康公の2役を勤めたが、健康が勝れず静養する。静養中の9月13日、急性肺浸潤に尿毒症を併発して死去。お家芸を本領として、時代物・世話物に適し、立役・敵役・女方を兼ねた。風采が良く、口上・台詞もしっかりして風格があり、非常に人気が高く不世出の大役者として持て囃された。文才があり書画骨董にも長じ、社交家であった。

(「歌舞伎人名事典」2002年6月25日 紀伊國屋書店)


【台本】

二幕目 隅田川の場

水音打ち上げ、長唄「都鳥」になる。

〽たより来る、船の内こそゆかしけれ、君なつかしと都鳥。    ト向こうより清玄尼、墨の衣、松若の袖を入れた袱紗をせおい、下駄ばき、網代笠、杖をつき出てくる。

清玄 仏に仕うる尼の身が、松若さまの殿ぶりに、迷うも即ち凡夫心、悟りの胸もうすぐ もり、盛りの花を仇事と、見捨てゝ帰る雁金の、心々の、世の中じゃなア。

〽いく夜かこゝに隅田川、往来の人に名のみとらわれて花の影。

   ト舞台へ来て、

清玄 こゝはもう隅田川の渡し場。アゝモシ、渡し守どの、渡し守どの。

   ト芦のかげの船の上に、惣太が立って、

惣太 誰だ〱。お前は往来の人か。

清玄 ハイ、往来の者でござりまする。渡し船と見受けました。どうぞ乗せて下さりませ。

惣太 なるほど、これは渡し船だが、そうしてどこへ行きなさるのだ。

清玄 ハイ、浅茅ヶ原の庵室まで、参る者でござりまする。

惣太 浅茅ヶ原じゃア、のせねえわけにもゆくめえ。(ト船を岸へこぎよせて)サア、乗らっしゃい。

清玄 かたじけのうござりまする。南無阿弥陀仏。

   ト船へのる。惣太すかし見て、

惣太 アヽ、坊さまだの。

清玄 さようでござりまする。

惣太 おらア又、女の声だと思ったが。

清玄 ハイ、尼でござりまする。

惣太 アヽ比丘尼か、なんだか聞いたような声だが。・・・なにか、小梅の尼寺へ行かしったのか。

清玄 ハイ。

惣太 ソレ、出やすよ。

〽川上とおく降る雨の、晴れて逢う夜を待乳山、逢うて嬉しきアレ見やしゃんせ。

    ト道具だん〱変わり、船、真中へでるこゝろ。

清玄 コレ渡し守どの、方々の船で篝をたくは、ありゃ何のためでござりまする。

惣太 ありゃア白魚をとるのサ。この頃じゃア白魚が、豪気に尾久の方へ下るので、早くとってしまうのよ。

清玄 そうして、アレ〱、流れて行く白いものは。

惣太 ナニ流れて行く。流れてゆくなア、質に入れた、わっちの袷サ。

清玄 ホ、、、、。気の軽い人じゃわいのう。

〽つばさ交わしてぬるゝ夜は、いつしか更けて水の音。

    ト奥の方から船一艘出る。中に松若、簔をつけ、さでをもち、白魚をくむ思入れ。真中で船、ゆきかう。

〽思い思うて深見草、むすびつといつ、乱れ合うたる夜もすがら。

    ト松若、篝を消す。桜姫の裲襠流れてくる。松若、すくって、

松若 いとも派手なる模様の振袖。

清玄 ヤ、そのお声は、正しく吉田の、

松若 その面ざしは似よれども、破れ衣に破れ笠。

清玄 それも誰ゆえ。

惣太 さてこそ忍ぶ松若丸。

松若 聞きしにたがわぬ。

清玄 お声は正しく、

    ト惣太、松若の船を突くと、渡し船は岸へつく。

惣太 当たりやアす。

〽憎やつれなく明くる春の夜。       ト皆々思入れ。あと佃になり、


(「名作歌舞伎全集 第22巻 鶴屋南北集二」昭和58年8月18日 東京創元社)


【まとめ】

Seigenni.jpg

Matsuwaka5.jpg Seigenni5.jpg Souda5.jpg

この絵は、惣太が手棹を持っていることから考えて、二幕目「隅田川の場」を描いているものと推察する。「惣太がつなぎ留めている小舟に乗り、手棹をさして漕ぎ出そうとしたところへ、黒染めの古衣をまとい、やつれた姿の清玄尼が来て、浅茅が原まで乗せて行ってくれと頼む。船が川を下ってゆくと、下手から白魚を取る松若の小舟がさか上ってきて途中で惣太の船とすれ違う。そのとき上流から最前川へ落とした桜姫の小袖と、頼国を探し求めるための高札が流れてくるので、松若は振り袖を引き上げ、清玄尼は高札を取り上げて船のかがり火で読もうとする。このシーンは実に美しく、恋のあわれと激しい女の情念の世界を創造した。」とされ、見どころの一つである。その為、浮世絵も清玄尼、惣太、若松の三人をそれぞれ描いた三枚仕立ての作品もある。舟を舞台に出すことは南北も得意で『勝相撲浮名花觸』や『盟三五大切』でも巧みに使って大いに舞台効果をあげたとされる。

なぜこの絵では、二人には色恋の関係はないのに若松を除き清玄尼と惣太のみを描いたのかは、この後の場でこの二人は殺される側と殺す側になるため、そのシーンとの対比を図ったのではないだろうかと考えた。 また端唄は「春雨」「鶯」「梅」「秋雨」「初雁」「蛍」「すすき」のワードから、春夏秋を唄ったものだとはわかるが、絵との関係性はよくわからなかった。 隅田川で白魚を採っているシーンがあるため、この場面は春ではないかと思われる。(白魚は春の季語) ただ、この端唄が清玄尼の事を唄っているとすると、ミスマッチな印象を受ける。恋についてではあるが、やや受動的でしおらしさを感じる唄である。しかし清玄尼はその真逆を行くようなキャラクターなので違和感を感じた。

今回「隅田川花御所染」を調べていく中で、様々なバージョンの「清玄桜姫物」に触れ興味深かった。 一番は衆道をベースにした「桜姫東文章」に魅かれたので、これからも深く読み解いていきたいと考える。


参考文献

・「歌舞伎年表 第七巻」昭和37年3月31日 岩波書店

・「歌舞伎登場人物事典」2006年5月10日 白水社

・「歌舞伎人名事典」2002年6月25日 紀伊國屋書店

・「名作歌舞伎全集 第22巻 鶴屋南北集二」昭和58年8月18日 東京創元社

・「南北名作事典」平成5年6月10日 桜楓社

・「開場40周年記念 国立劇場歌舞伎公演記録集2 桜姫東文章」2005年12月20日 ぴあ株式会社

・「新版 歌舞伎辞典」2011年3月25日 平凡社

・「大辞林」三省堂

・「広辞苑」岩波書店

*早稲田大学演劇博物館 浮世絵閲覧システム