201-4391

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総合

今様擬源氏 三十九

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【翻刻】

花子八吉田少将惟房の妻之

一子梅若丸が行ゑを

東国ふさゐよひ來り隅田川の

辺ふ我子の像を見てうれしく

もの言さんとせうに一樹の柳と化す


夕霧

山里乃あはれをそふるゆふきりにたち出ん空もなきこゝちして


絵師:芳幾

改印:子七改


【舞台】

この絵の舞台となるのは、現在の東京都の東北部を流れる荒川の下流の隅田川である。隅田川の上流は、古くは利根川であったが、徳川幕府の治水工事により利根川筋から荒川筋に変えられ、その後大正時代に作られた荒川放水路が第二次世界大戦後荒川と呼ばれるようになったため、現在の隅田川は荒川支流の形をとっている。江戸時代に隅田川と呼ばれたのは、千住大橋の下流で綾瀬川と合流する鐘ヶ淵のあたりから河口までである。(『浮世絵大事典』)


【題材】

この絵は、能「隅田川」を題材としている。吉田の少将と吉田の花子の子どもである、梅若丸が人買いの手におちて隅田川のあたりで死ぬ。そして、狂女となってわが子を尋ねる御台班女の花子が梅若丸の亡霊に対面するといったシーンであると考えられる。(『浮世絵事典《定本》』参考)



【梅若伝説】

人買いにさらわれて、隅田川のほとりで病死した稚児梅若丸とその母をめぐる物語。平安の中頃、京都北白河の吉田家の幼児梅若丸は、人買いにだまされて奥州に下る途中、病いにかかって隅田川の渡し場に置き去りにされる。身の上を語って息途絶えた梅若丸をあわれんだ里人は、路傍に葬って塚を築く。一方梅若丸の母は、我が子を尋ねて東へ下って来るが、里人が、丁度梅若丸の一周忌の法要を営んでいるところへ来合せ、ともに大念仏を上げる。すると夜半、塚の中から我が子の念仏の声が聞え、亡霊が現れる。母子は手を取り合って懐かしむが、夜明けとともに亡霊は消え、後には草茫々の原が残るのみであった。(『日本説話伝説大事典』) この梅若伝説を文字にとどめたものが「今様擬源氏 三十九」の題材となる能「隅田川」である。しかし、この能の典拠が未詳であるため、それ以前に伝説として存在したのか、あるいは元雅の創作であるのかは定かではないようである。


【人物】

[梅若丸]

梅若丸は京都北白川の吉田少将惟房の子で、母が美濃国野上の宿の長者の娘花子である。花子には子どもがいなかったため、近江国の日吉山権現にこもって祈念したところ、満月の夜に、宮殿から梅の花のような薫のするものが出てきて口の中に入るという夢を見て目がさめ、ほどなく懐妊した。そして、応和三年七月七日、男子を出生したので梅若丸と名付けた。父母に大切に育てられたが、梅若丸が五歳の秋に、父が亡くなってしまう。そして、七歳になったころ梅若丸は学問修行のため比叡山月林寺に登った。こうして梅若丸は二十歳になったが、天延二年の二月に、信夫の藤太という男が梅若丸の容貌と美麗なのを知り、どこかで売ろうという魂胆で、隅田川の辺りまで連れてきた。ところが、梅若丸は母を慕うあまりに重い病気になり進むこともできなくなったので、連れてきたかいがないと思った藤太は、梅若丸を隅田川に沈めどこかに行ってしまった。梅若丸はたまたま里人に助けられたが、手当てのかいもなく息をひきとった。 この話は、『梅若塚略紀』に記されている梅若丸の生涯である。能「隅田川」に登場する梅若丸は、すでに死んでいて亡霊となった姿である。


[吉田の花子]

梅若丸の母として記されている。母花子は、梅若丸の行方をたずねてやってくる。念仏の声を聞いて、何事かと里人に問うと、それがわが子の梅若丸の一周忌を弔いとわかり、嘆き悲しむのであった。花子は、髪を切って尼になり妙亀と名を改めた。あるとき、池に都鳥が仲良さそうに遊んでいるのを見て、「くみしりてあはれとおもへ都鳥子にすてられし母の心を」と詠んだところ、池の水面に梅若丸の姿が現れたので、池に飛び込んでしまい死んでしまった。 花子は、能「班女」としても登場する人物であり、同曲では、花子と、契りを結んだ男性が吉田少将となっている。したがって、「隅田川」は「班女」のあとの話ということになるのであろう。また「班女」で、花子が吉田少将と契りを結んだ時に、その証として互いに扇を交わしている。その扇が、「今様擬源氏 三十九」に描かれている中啓(儀式に用いる扇。親骨の先を外に曲げ、閉じた扇の先が中びらきになっているもの)であると考えられる。 

(『日本伝奇伝説大事典』『日本架空伝承人名事典』『日本古典文学大辞典』参考)



【源氏物語と能】

能は、舞、謡、囃子の三要素からなる歌舞劇である。江戸時代に、大和猿楽の流れを持つ四座、観世流、宝生流、金春流、金剛流に、喜多流を加えた五流派が徳川幕府の保護のもとで伝襲されるようになり、現在の能が確立された。能の詞章を謡といい、題材は『源氏物語』や、『伊勢物語』、『平家物語』などの古典からとられることが多く、その物語や宗教的な心情が興味深く述べられることから、庶民にも普及するようになった。現存する謡曲の中に『源氏物語』を題材とするものは10曲である。しかし「隅田川」は『源氏物語』ではなく、『伊勢物語』の第九段が題材とされている。(『源氏物語と能:雅びから幽玄の世界へ』参考)


【伊勢物語と隅田川】

能「隅田川」は『伊勢物語』の第九段が題材とされている。隅田川の渡し守が客を待っていると、狂女の花子が都から下ってきて、乗船を乞う。狂女花子と渡し守との問答が『伊勢物語』第九段を背景にしている。在原業平の東下りと同じく、都から東へ下る狂女のイメージが重ねられているのである。在原業平の哀愁と、花子の孤独な悲しみが隅田川という名所を軸に一体化している。 (『国文学 解釈と教材の研究 観世元雅能隅田川の「梅若丸の母」』参考)



【和歌】

この絵に書かれている和歌は「山里乃あはれをそふるゆふきりにたち出ん空もなきこゝちして(ただでさえ物悲しい山里なのに、その物悲しさをいっそうつのらせる夕霧が立ちこめて、どちらの空に向かって出ていけばいいのか、帰る気分にならなくて)」という歌で、源氏物語夕霧巻で夕霧が女二の宮に対して詠んだ歌である。 (『源氏物語 第四巻 若菜上~夕霧』)


【考察】

この能「隅田川」を題材とした絵に夕霧の和歌がかかれている理由は、夕霧が帰りたくない、離れたくないといった女二の宮に対する気持ちと、吉田の花子が、亡霊となった息子の梅若丸と離れたくないといった気持ちが似ている部分があるからではないだろうか。



《参考文献》

『日本説話伝説大事典』志村有弘、諏訪春雄著 2000年6月 勉誠出版

『日本伝奇伝説大事典』乾克己編 1986年10月 角川書店

『浮世絵大事典』国際浮世絵学会編 2008年6月 東京堂出版

『浮世絵事典《定本》』吉田暎二著 1990年10月 画文堂

『日本古典文学大辞典』1998年6月 明治書院

『日本架空伝承人名事典』下中直人著 2000年8月 平凡社

『源氏物語 第四巻 若菜上~夕霧』大塚ひかり訳 2009年6月 筑摩書房

『源氏物語と能:雅びから幽玄の世界へ』馬場あき子 1995年12月 婦人画報社

『国文学 解釈と教材の研究 観世元雅能隅田川の「梅若丸の母」』竹本幹夫 1982年9月 學燈社