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総合

東海道五十三対 水口


 

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【水口】

東海道五十三対の第五十番目の宿駅。江戸期の東海道の宿名。慶長期以前は隅田川の港口にある意で、水無口・皆口とも書いた。安藤広重は、保永堂版で街道の木立の下で里の女が三人で、川をむいたり干したりして干瓢を作っている「名物干瓢」というがだいのものが残されているとおり干瓢が有名である。現在、滋賀県甲賀郡に属する。

【翻刻】

昔高嶋といふ所に百姓の娘大井子といふ 大力の女あり 力あるを恥て常には 出さば農業の間には馬を牽き旅人 を乗て活業とす 折節田に水をはり する比に村人大井子と水ぼ事を論じ 女を侮り彼が田へ水のかからぬように せしらば大井子憤りてある夜六七尺 四方なる石を持来りその水口に置けり 夜明て村人おどろき数人にて取んと すれど中々動で悩しに大井子の仕 業ときき詮方なく種々侘たるゆへ彼 大石をかるがると引退けたり 大力におそれて 水論は止けるとぞ今に此地に 水口石とて残りけるなり

絵師:国芳


【大力(だいりき)】

大力持ちの話。昔話の中での大力持ちは、「力太郎」,「桃太郎」,「力くらべ」などがあるが、大力持ちの登場する話はそう多くない。ところが世間話の中では各地に大力持ちがいる。 大力の現し方は、 (1)牛に米など荷をつけて通ると橋の上で殿様の行列に出会い、牛ごと橋の外にささげて行列を通す, (2)田を耕すのに牛にかわって耕す, (3)竹やぶの竹を草のように引き抜き開墾する, (4)鳥居の笠石を一人で持ち上げる, (5)竹をすごいいてふんどしにする, などがあげられる。また、各県にも大力といわれる者は多数ある。多くの場合、この主人公は共通していて、 (1)しいたげられ下積みである, (2)愚直なほどの性格である, (3)時として怒り、抵抗し、その時大力を発揮する, (4)村の人たちに決して迷惑はかけないということを指摘することができる, である。多くの伝承があることは村人たちが、大力に対して特別な念を持っていたことを示している。

【大力の大井子】

湖の西側、安曇川のある村に、おいねという器量よしで、力持ちの娘がいた。 ある日、おいねが水を汲みに川へ行った帰りに見たことのない旅の男が、馬に乗ってやってきた。その男はおいねの美しさに、馬から下りるとおいねの腕をつかむが、おいねは驚きもせず、男の手をはさんだまま家に帰った。つれて帰った後、男の話をよく聞くと、男は宮中である力くらべのために越前から召されて都に行くところだったという。その話を聞いたおいねは、男の力がまだまだ足りないので、都に行くまで鍛えてあげようと提案する。その提案に乗った男は、朝は田畑を耕し、昼間は、おいね相手に相撲をとった。おいねもその男のためにかいがいしく世話をした。しばらくしておいねが十分に力がついたと思ったので男を都に送り出すことになった。たくましくなった男は都で次々と勝ち、たくさんのほうびをもらった。


【考察】


この本文中に出てくる石は、67尺という大きさであるが、1尺が現在、約30.303cmなので単純計算すると約20mもの大きな石ということになる。このような大きな石を持ち上げるなど不可能に近いが、大力の大井子という話は近江の民話としてほかにも伝わっている。また、大力の人物の共通項として、(3)時として怒り、抵抗し、その時大力を発揮する,という項目があるが、今回の本文においても、村人とのいさかいから発展して大力を発揮するという話の流れになっている。浮世絵からは、女の右後方に村人が数人がかりで石を運ぼうとしている様子が描かれているのではないかと思われる。


 


≪参考文献≫

『浮世絵事典』吉田映二 1971 画文堂

『日本歴史地名事典 滋賀県』吉田茂樹 1993,10 新人物往来社

『角川日本地名大辞典 滋賀県』角川日本地名大辞典編纂委員会 1978,10 角川書店

『広重と東海道』矢谷政行 人物往来社 1965,10

『日本昔話事典』稲田浩二等編 弘文堂 1977

『民話・昔話集作品名総覧』日外アソシエーツ 紀伊國屋書店 2004,9 

『近江の民話』中島千恵子編 未来社 1980,6