黄表紙「義経千本桜」

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総合

はじめに

 ここでは「義経千本桜」という作品を取り上げ、原作である文楽、それを基にした歌舞伎、黄表紙を比較し、それぞれの特徴を考察していく。また特に、黄表紙の「義経千本桜」に重点を置き、この作品における黄表紙の特徴を考察していきたいと思う。さらにここで扱う黄表紙が文楽、歌舞伎のどちらに基づいているものかも考察していきたいと思う。


書誌情報

統一書名 :義経千本桜

巻冊   :一冊

角書   :大物船矢倉吉野花矢倉

分類   :浄瑠璃/義太夫

著者   :竹田 出雲

      三好 松洛

      並木 千柳

成立年  :延享四初演

国書所在 :【写】上田花月

     【版】国会、国会亀田、関大、京大、芸大音楽、早大、早大演博、東大、東大教養、東北大狩野、日大、日大佐藤、日本女子大、名大皇学、大阪府、京都府、日比谷加賀、

上田花月、古靭、天理、尾崎久弥

     【複】〔活〕岩波文庫・近代日本文学大系名作浄瑠璃集上・国民文庫出雲戯曲集・新註国文学叢書浄瑠璃名作集下・帝国文庫浄瑠璃名作集・日本戯曲名作大系一・日本古典

全書竹田出雲集・日本古典文学大系文楽浄瑠璃集・日本名著全集浄瑠璃名作集下・有朋堂文庫海音半二出雲宗輔傑作集

著作種別 :和古書


あらすじ

※ここでのあらすじは原作である浄瑠璃の台本に即したものである。


第一

【院の御所の段】

 平家を討ち滅ぼした源義経は、後白河院に八島の戦いについて話して聞かせた。院は義経がかねてから欲していた初音の鼓を恩賞として与える。しかし、頼朝・義経兄弟の仲を裂こうと企む、左大将藤原朝方は初音の鼓に偽の院宣を添える。その院宣とは、鼓を打てというのはすなわち兄を討てということであり、頼朝討伐の院宣であると。院宣であるので、鼓を院に返すこともできず、義経は自分の手では鼓を打たないと近い、御所を退出する。


【北嵯峨庵室の段】

 平家一門滅亡のち、三位中将惟盛の御台・若葉の内侍と若君の六代は、北嵯峨の庵室に身を隠していた。朝方の差し向けた猪熊大之進によって2人は捕らえられそうになるが、折よく現れた旧臣の主馬小金吾に助けられ、ともに逃げることに。三人は維盛が潜んでいると噂のある高野山へと向かう。


【堀川御所の段】

 堀川の義経の館では、義経の正室・卿の君のために静御前が舞を披露していた。静御前の舞が終わり、院の御所での武蔵坊弁慶の無礼な振る舞い、彼の乱暴で直情的な行動について静御前、卿の君、駿河次郎、亀井六郎が話合っていた。そこに鎌倉の大老川越太郎重頼が義経に対する頼朝の不審について尋ねに来る。その不審は三つ。一つは義経が討ち取ったとして鎌倉に差し出した兵士の首のうち、新中納言知盛、三位中将惟盛、能登守教経の三人が偽首であったこと。二つ目は頼朝追討の院宣が添えられた鼓を受け取ったということ。そして三つ目は平時忠の娘である卿の君を正室に迎えたということ。義経は初めの二つについては答えたものの、最後の一つについては卿の君が川越重頼の実の娘であるという事実があるにもかかわらずどうにも申し開きできないでいた。それを見た卿の君は自害することで義経の潔白を証明しようとするも、攻めてきた鎌倉方の土佐坊、海野に弁慶が討って出てしまったため、結局義経は頼朝と敵対することとなり、都落ちを余儀なくされる。


第二

【伏見稲荷の段】

 堀川の館より三人で逃げてきた義経、駿河、亀井であったが、伏見稲荷で静御前、弁慶が三人に追いつく。しかし、静の同行は許されず、形見として預けられた初音の鼓ともども、静は道端の木に縛り付けられてしまう。義経達が静をおいて立ち去った後、静は土佐坊の家来早見藤太に連れ去られかけるが、そこに出羽に帰郷していたはずの佐藤忠信が現れ静を救った。これを見ていた義経は忠信に自分の着背長と源九郎の名を譲り、静を託し、大物の浦へと向かう。


【渡海屋の段】

 義経一行は九州に逃れるべく、船の日和待ちをしていた。義経達が身を寄せる宿の主人真綱銀平は戦死したとされていた平知盛であり、その女房と娘は同じく死んだと思われていた内侍の局と安徳天皇であった。義経一行の来訪を平家一門の復讐の機会と考えた知盛は、海上で義経達を討とうと企むも、その企みはすべて義経に筒抜けであり、返り討ちに合う。海上の戦いで深手を負った知盛が安徳天皇の身を案じ宿に戻るも、安徳天皇はすでに義経の手のうちであった。戦いを挑む知盛に安徳天皇の身の安全を義経が約束すると、内侍の局は平家側の自分がそばにいては安徳天皇のためにならないと自害する。知盛も平家一門の運命を悟り、碇を担ぎ海に身を投げ、壮絶な最期を遂げる。


第三

【椎の木の段】

 御台若葉の内侍、若君六代、小金吾は惟盛のいると噂される高野山へと向かっていた。道中、訪れた茶屋で図らずもいがみの権太の女房おせんとせがれの善太郎に会う。その後いがみの権太に金をゆすりとられる。


【小金吾討死の段】

 茶屋を立ち去った後、若葉、六代、小金吾の三人は追手の猪熊大之進に取り巻かれる。小金吾は二人を逃がした後、奮闘の末に猪熊を討ち取るも自身も深手を負い、討死する。そこに提灯を持った五人組が現れるが、そのうちの一人はいがみの権太の父弥左衛門であった。弥左衛門は帰路にて小金吾の遺体を見ると、その首を切り取って持って帰った。


【鮓屋の段】

 鮓屋では弥左衛門の娘お里が、奉公人の弥助との祝言を楽しみに待っている。そこに兄である権太が父の留守を承知で、母から金を巻き上げに来る。金をだまし取ったころ、父弥左衛門が帰宅し、権太は金を空の鮓桶に隠し自分も物陰に隠れる。入れ違いで店に入った弥左衛門は小金吾の首を別の鮓桶に隠し、弥助が惟盛であること、弥左衛門自身の過去を語る。ちょうどその夜、逃げ惑う若葉の内侍と若君六代は弥助のもとを訪ね三人は再会を果たし、お里は叶わない恋と悟る。しかしそこに追手の梶原が来るとの知らせが入り、お里は三人を逃がすも、それを見ていた権太が先ほどの桶をもって三人を追いかけていってしまう。鮓屋に到着した梶原に迫られた弥左衛門は小金吾の首を偽首として渡そうとするが、そこに権太が現れ、惟盛の首と生け捕りにした若葉の内侍、若君六代を梶原に引き渡す。恩賞として頼朝の陣羽織を権太に与えると梶原は去っていった。

 梶原を見送る権太に弥左衛門は怒りのままに刃を突き立てる。瀕死の傷を負った権太は虫の息の中、事の真相を弥左衛門に伝える。権太が持ち出した桶には小金吾の首が入っており、梶原に差し出したのはそれであり、また若葉と六代に扮していたのは権太の女房とせがれであると。権太は小金吾から奪い取った荷の中にあった絵姿が弥助とそっくりであったのに気づき、事の次第を確かめるべく家にやってきたのだった。そこで父の話を聞き、勘当の許しを得るためにすべてのことをしたのだと語った。権太が合図をすると、無事な惟盛達三人が姿を見せた。弥左衛門は惟盛に刀を渡し、頼朝の陣羽織を刺させた。すると中から数珠と袈裟が出てきたのであった。頼朝は惟盛の父重盛に幼いころ命を助けられており、惟盛に出家を勧め命だけは助け、恩に報いようと思っていたのである。惟盛は高野山で出家する決意をし、若葉と六代には高雄の文覚のもとへ行くように言う。弥左衛門はわが子を刺し殺すことになってしまい、最期を看取ることはできないと若葉、六代の供として旅立つ。権太は初めから鎌倉方は惟盛を捕らえるつもりなどなかったのだと悟り、自分の行動のむなしさを思いながら息絶えた。


第四

【道行初音旅】

 静御前は忠信をともにつれ、吉野にいるという義経を訪ねてくる。忠信は道中、八島の戦いでの兄次信の最期の様子などを語る。


【蔵王堂の段】

 吉野についた静と忠信は河連法眼の住む蔵王堂へと急ぐ。河連法眼は義経をかくまうべきか討つべきか、荒法橋、鬼佐渡坊、覚範らに問う。彼らがかくまうべきというのに、河連法眼は義経を討つべきというが、これは彼らの本心を試すための嘘であった。河連法眼の目論見どおり覚範は実は義経を討つつもりであるとほかの2人にいうと一同は法眼の館に義経を討ちに向かったのだ。


【河連法眼館の段】

 河連法眼は同じく妻である飛鳥の気持ちを試したが、自害までしようとしたため、本当のことを打ち明け、義経も感謝する。そこへ奥州から忠信がきた。忠信と対面した義経が静はどうしたと聞くと、忠信は今奥州から帰ったばかりで静御前には長らく会ってないという。合点が合わず、不審に思っているところに静と忠信が訪ねてくる。義経が静に会いに行くとそこには忠信はおらず、静の経験に沿って鼓を打つと忠信が現れた。その忠信は鼓の皮になった老狐の子が化けたものであったのだ。この狐の親を慕う心、今までの忠勤をめでて義経は子狐に鼓を与えると、子狐はその恩に報いるため吉野山に今夜衆徒が攻めてくることを教え、これを翻弄したのである。そして戦いの中、義経は覚範の正体が教経であることを見破り安徳天皇を彼に託し、再会を約束したのである。


第五

【吉野山の段】

 かつて義経を窮地に追い込んだ藤原朝方は川越太郎に捕らえられ、平教盛に首を落とされる。忠信は源九郎狐の霊力に助けられて教盛を討ち取り、兄次信の敵討ちを果たし、「四海太平民安全」ということになる。


黄表紙作品

ここで扱う黄表紙の「義経千本桜」について述べていく


書誌情報

資料名  :義経千本桜

編著者  :鳥居清経(画)

ジャンル : 黄表紙

巻冊   :5冊

成立年月日: 安永06(1777)以降ヵ(役者の当込みによる推定)


本文と解説

【一】一丁表
【一】一丁裏二丁表
【二】一丁表
【二】二丁裏三丁表
【二】三丁裏四丁表
【三】五丁裏
【四】一丁裏二丁表
【四】四丁裏五丁表
【四】五丁裏
【五】一丁表
【五】五丁裏


【一】

一丁表:「義経千本桜」の本編にはかかわりのない部分か。後で述べる。


一丁裏二丁表:院の御所の段。義経が朝方によって偽の院宣が添えられた初音の鼓を受け取る場面。

※この場面、前方に座るのは左から、弁慶、義経、亀井であるので一番右にいるのは、文楽の台本のままなら駿河である。しかし、ここに描かれているのは片岡八郎である。この黄表紙内では駿河は一度も登場しない


二丁裏三丁表:北嵯峨庵室の段。一丁裏では小金吾が庵室に現れた場面を、二丁表では小金吾が猪熊の残していった二人の家来を倒し、若葉の内侍と逃げる場面。


三丁裏四丁表:堀川御所の段。静御前が舞を披露する場面。


四丁裏五丁表:堀川御所の段。静御前の舞が終わり、弁慶が呼ばれ、卿の君から注意を受ける場面。


五丁裏:堀川御所の段。重盛の詮議にこたえられない義経の潔白を証明するために卿の君が自害する場面。


【二】

一丁表:堀川御所の段。義経の館に攻めてきた鎌倉方の土佐坊を生け捕りにし馬に乗せ、自らもその後ろに乗り義経達のところへと行く場面。

※この時描かれている馬の脚が人間の足である。

※また、後ろに明らかに登場人物ではない人物が描かれている。ツケ打ちか。


一丁裏二丁表:伏見稲荷の段。気に縛り付けられた静御前を早見藤太から忠信が助けた場面。物陰から義経達が見ている。


二丁裏三丁表:渡海屋の段。相模が宿の奥を改めようとするのを銀平が宿から放り出す場面。

※ここにおいても登場人物ではない人物が描かれている。同じくツケ打ちか。


三丁裏四丁表:渡海屋の段。海上では戦いが行われており、内侍の局が六代に事の次第を伝えている場面。

※二丁裏に登場する人物と同じ服装の人物。今度は扇を持ち内侍の局を扇ぐかのようなしぐさをしている。


四丁裏五丁表:渡海屋の段。背に矢を受けた知盛と義経とのやり取りの場面。


五丁裏:椎の木の段。いがみの権太に小金吾たちが金を騙り取られている場面。


【三】

一丁表:小金吾討死の段。追手の猪熊を討ち取るも自身も瀕死の傷を負う小金吾。


一丁裏二丁表:一丁裏は小金吾討死の段。弥左衛門が小金吾の首を切り落とし持ち帰る場面。二丁表は鮓屋の段。お里と弥助の会話。


二丁裏三丁表:鮓屋の段。惟盛と若葉の内侍、若君六代の再会の場面。


三丁裏四丁表:鮓屋の段。梶原が来ることを知り、逃げた惟盛達三人をいがみの権太が追いかける場面。


四丁裏五丁表:鮓屋の段。いがみの権太が梶原に惟盛の首、生け捕りにした若葉の内侍と若君六代を引き渡し、頼朝の陣羽織を与えられる場面。


五丁裏:鮓屋の段。怒った弥左衛門に刺される権太。惟盛は出家した姿。

※頼朝の陣羽織を切り裂く描写なし。一枚の絵の中で、権太が刺される場面と惟盛が出家する場面が同時に描かれている。


【四】

一丁表:道行初音旅。忠信を伴って吉野に向かう静御前。


一丁裏二丁表:蔵王堂の段。河連法眼、ほかの坊主たちに義経の処遇について聞く。

※ここにも登場人物でないものがいる。河連法眼の後ろでろうそくを持っている。


二丁裏三丁表:河連法眼館の段。二丁裏は法眼に試された妻、飛鳥が自殺を図る場面。三丁表は奥州から帰ったばかりの忠信との食い違う会話を不審がっている場面。


三丁裏四丁表:河連法眼館の段。館についた静御前に忠信について話を聞いている場面。


四丁裏五丁表:河連法眼館の段。静御前に鼓を打たせ、忠信を呼び寄せる場面。

※ここにも、ろうそくを差し出す人物が描かれている。


五丁裏:河連法眼館の段。鼓によって呼び寄せられた源九郎狐と呼び出した静御前。

※源九郎狐の化けた忠信の頭に耳のように見えるものがある。


【五】

一丁表:河連法眼館の段。鼓を源九郎狐に授ける。

※源九郎狐が化ける忠信の描写に変化あり。


一丁裏二丁表:河連法眼館の段。源九郎狐、館に攻め入った坊主たちを惑わせる。

※【四】の五丁裏と同様忠信の頭に耳のようなものあり。


二丁裏三丁表:河連法眼館の段。義経、覚範と相対し、覚範の正体を見破る。

※ここにもろうそくを持つ人物が描かれる。


三丁裏四丁表:河連法眼館の段。義経は覚範に安徳天皇を託し、再会を約束する。


四丁裏五丁表:吉野山の段。教経と忠信の戦い。

※この場面にもツケ打ちと思われる人物の描写。


五丁裏:静御前と源九郎狐が化けた忠信の描かれた看板を見上げる町人たち。

※歌舞伎の看板か。














考察

 上に述べた黄表紙「義経千本桜」の内容、特徴について、文楽、歌舞伎と比較し考察していく。


片岡八郎の存在

 黄表紙の一丁裏二丁表から登場している「片」と印のつけられた人物。これは義経の家臣、片岡八郎である。しかし、文楽において片岡八郎は名前のみ会話に出てくるだけで一切登場しない。亀井とともに義経に付き従っているのは駿河次郎である。しかし、この黄表紙では駿河次郎がいるはずの部分に片岡が登場している。

一方、弘化四年九月江戸河原崎座初演の歌舞伎台帳では義経に付き従う二人の家臣は片岡八郎と伊勢三郎となっている。

ここから考えられるのは、大阪から江戸、延享四年から弘化四年、文楽から歌舞伎という場所・時間・形態の変化を経るうちに、亀井・駿河から片岡・伊勢へと家臣が変わっていったということである。この黄表紙はその中間に存在するため、亀井と片岡という組み合わせになっているのであろう。


馬の脚

 【二】の一丁表には生け捕りにした土佐坊を馬に乗せ、義経たちに引き渡そうとする弁慶が描かれている。そこで土佐坊と弁慶は一頭の馬に乗っている。その馬の脚がこの黄表紙では人間の足であるのだ。馬の被り物の中に二人の人間が入っているのが明らかにわかる。この絵からこの黄表紙が歌舞伎を基に描かれていることがわかる。なぜなら、文楽に使う馬は黒子が一人で扱うからだ。この場面のように二人で入って使うのは歌舞伎独特なのである。


登場人物でない人

 この黄表紙には登場人物ではない人物が多く描かれている。【二】の一丁表、二丁裏、三丁裏四丁表、【四】の一丁裏二丁表、【五】の二丁裏三丁表、四丁裏五丁表に、ツケ打ちのような人、ろうそくを差し出している人、扇で扇いでいる人がそれぞれ描かれている。これらの人々はいわば裏方の人間で、普通であれば描かれないであろう人物である。

 また、【一】の一丁表、【五】の五丁裏には「義経千本桜」とは全く関係のない人々が描かれている。【五】の五丁裏には、静御前と源九郎狐の化ける忠信を描いた看板のようなものを見上げる人々と「大入」の看板が描かれていることから、おそらく歌舞伎の「義経千本桜」を観に来た人々を描いたものであると考えらえる。

 これらを踏まえて考えると、この黄表紙は単に「義経千本桜」という物語を絵本にしたものではないことがわかる。これは読み手にあたかも歌舞伎を見に来たかのように感じさせるために」、歌舞伎「義経千本桜」を忠実に絵に起こしたものであるのだろう。


源九郎狐

 源九郎狐の化ける忠信は、義経達に正体がばれるまでは絵の表現として普通の人間と変わったところはない。しかし、正体がばれた後は、手や足で狐っぽさを描き表している。

 文楽では、静御前の鼓の音によって現れた源九郎狐は、狐のまま欄間から顔をだし、忠信の姿に早変わりして静の前に出るという演出がなされるが、この黄表紙では狐姿になることは一切ない。そのかわり、その忠信が狐であることをわかりやすくするために、手足の描き方で表しているのだろう。




まとめ

 まず、この黄表紙が文楽と歌舞伎のどちらを基にしていたかということであるが、それは馬の足や、所々で描かれているツケ打ち、歌舞伎の「大入」の看板などから考えるに、歌舞伎であろう。

 またこの黄表紙の特徴としては、面白おかしく描かれた絵(源九郎狐など)や圧倒的な字の少なさがあげられる。しかし何よりも、単に「義経千本桜」という物語を描くのではなく、読み手が歌舞伎を見に来ていると思えるほど忠実に、歌舞伎の演目としての「義経千本桜」を描いている点ではないだろうか。本来ならば描かれないだろう、ツケ打ちやろうそくをもった裏方の人々、また物語の前後に描かれた人々。彼らを描くことによって読み手を歌舞伎という文化に引き込むというところがこの黄表紙の最大の特徴といえるだろう。




参考文献

『竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集 新日本古典文学大系 93』安江良介、岩波書店、1991年3月

『義経千本桜 歌舞伎オン・ステージ21』原道生、白水社、1991年7月

『文楽・義経千本桜・桂川連理柵 / 国立文楽劇場調査養成課調査資料係編』国立文楽劇場、国立劇場、1989年

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