陳希夷

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ちんきい


画題

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解説

画題辞典

陳希夷、名は搏、字は図南、抉揺子と号す、支那毫州真源の人、後唐の明宗召せども応ぜず、更に宮女三人を賜はるに及び、去つて武当山に隠れ、又華山に移る、後周の世宗之に白雲先生の号を賜はり、宋太宗の初め、始めて召に応じ、希夷先生の号を得、一日石室を張超谷に鑒ち、之に入る、年百十八歳なり、五色の雲その谷口を閉ぢ数日散せずと称せらる、皇極図と先天図はその工夫なり、

岡崎正也氏所蔵宋画一点あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

ちんたん「陳摶」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)