阿漕が浦

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あこぎがうら


画題

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解説

東洋画題綜覧

阿漕が浦は勢州阿濃郡にある、昔から阿古木の浜辺に古墳一堆榎一本あつてこれを阿漕の明神と云ふ、昔納所村から太神宮へ御供調進の砌此の浦にて贄の佳肴を漁した、其故に伊勢の海士の世を渡る漁りを禁戒してゐた処、あこぎといふあま、夜々忍んで網を引き渡世としてゐた処遂にあらはれて罪科に行はれ、此の浦の波間に沈められた、その悪霊祟りをなすので、十の祢宜より社を祠り悪霊邪気の沙汰も鎮まつた、それから毎七月十六夜はかの幽霊が網を引いた日とて、その夜に限り漁を断絶した。  (勢陽雑記)

謡曲の『阿漕』は此の伝説を骨子とした元清の作、前シテ漁翁、後シテ阿漕、ワキ旅僧である、一節を引く。

此浦を阿漕が浦と申す謂御物語り候へ、「総じて此浦を阿漕が浦と申すは、伊勢太神宮御降臨より以来、御膳調進の網を引く所なり、されば神の御誓によるにや、海辺のうろくづ此所に多く集まるによつて、浮世を渡るあたりの海士人、此処にすなどりを望むといへども神前の恐れあるにより、堅くいましめて是を許さぬ所に、阿漕といふ海士人業に望む心の悲しさは、夜々忍びて網を引く、しばしは人も知らざりしに度重なれば顕はれて阿漕をいましめ所をもかへず此浦の沖に沈めけり、さなきだに伊勢のをの、海士の罪深き身を苦しみの海の面、重ねておもき罪科を受くるや冥度の道までも「娑婆にての名にしおふ今も阿漕が恨めしや、呵責の責もひまなくて、苦しみも度重なる罪弔らはせ給へや、「恥かしや、古を、語るもあまり実に阿漕が浮名もらす身の、なき世語のいろ/\に錦木の数積り千束の契り忍ぶ身の阿漕がたとへ浮名立つ、憲清と聞えし其歌人の忍妻、阿漕々々といひけんも責一人に度重なるぞ悲しき。

阿漕の浦の伝説を書いたものに左の作がある。

川口呉川筆  『阿漕浦』  第三回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)